未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
299

茨城県常陸太田市

いま「中世の山城」がブームだ。茨城県常陸太田市にある久米城も、近年、山城マニアから注目を集めている人気の城のひとつ。「未来につなぐ久米城跡保存会」の石井尚憲さんに案内してもらい、城域全体を歩いて、地形を活かして作られた中世の山城の土木技術を体感する。

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.299 |25 February 2026
  • 名人
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  • 穴場
茨城県常陸太田市

最寄りのICから【E6】常磐自動車道「日立南太田IC」を下車

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#1いざ久米城へ

久米城跡保存会の石井尚憲さん(左)と友人・船木史子さん(右)とともに、出発だ。

中世の有力武士、佐竹氏の居城のひとつ、久米城。丘陵に広がる城と城下は広範囲だ。しかし、地元の保存会の丁寧な整備によって、複雑に入り組んだ遺構が良好な状態で残り、いつでも誰でも全域の見学が可能だという。

今日はその「未来につなぐ久米城跡保存会」の石井尚憲(いしいなおのり)さんによる案内で、城全域を歩くことになった。もうひとり、城や史跡めぐりが大好きな船木史子さんも一緒だ。地形マニアでもある船木さんは茨城県出身で、私の高校の同級生であり、旧姓をなんと「久米さん」という。お城に詳しいし、茨城出身だし、何かこのお城に関係あるのではないかしら、などと思って、船木さんを誘ってみたのだった。この三人が久米城の駐車場に集合し、山城歩きの一日が始まったのである。

久米城の歴史は、鎌倉時代に大掾氏(だいじょうし)が茨城県常陸太田市に居住したのが始まりで、後に小野崎氏が築城し、久米氏と名乗って居住したとされる。戦国時代に入り、常陸国(現在の茨城県)を支配していた佐竹氏のうちの「佐竹北家」の城として、重要な役割を果たした。江戸時代に入り、関ヶ原の戦いのあと、慶長七年(1602年)、徳川幕府の命令で、佐竹氏は出羽国(現在の秋田県)へ国替えとなり、以後廃城となった。

この久米城、以前から地元では知られた存在だったが、長い間、城跡には雑木や雑草が生い茂り、城郭遺構を十分に見学することができない状況が続いていたという。しかし貴重な歴史遺産を復活させようと2010年からたった2名の有志で整備が始まった。そのひとりが久米城跡保存会会長の岩間昭さんである。もう一人が石井さんのお父さん、石井勲さんだ。

「SNSの発信担当」という石井尚憲さん。今回は岩間昭会長から案内を託された!

久米城跡保存会の活動は、城全域の整備や案内板の設置、マップの作成など多岐にわたる。驚くべきことに、公的な補助はほとんどなく、個人の自主活動で成り立っている。主なプレーヤーは会長の岩間昭さん、石井さんのお父さん、そして石井さんの三人だ。

「実際はこの地域に住む人たちがもう少しいますが、基本的には、活動日の告知もせずに、整備したい人が自由にやっている」と石井さん。

例えば駐車場の案内板。「業者に作ってもらうと、壊れちゃっても修理できない。だから基本は岩間会長の手作りです」しかもすべて自腹だ。

さらに駐車場に設置してある「久米城案内チラシ」。岩間会長が作成したものを近所のコンビニでプリントし、年に数百枚がはけるという。散策用の青い杖も全て手作りだ。そのほかにも木の伐採やSNSでの発信など、三人がそれぞれの活動を楽しみながらやっているのだという。

その甲斐があって、誰がいつ来てもひとりで歩けるほど案内板や道が整備されている。最近では久米城跡保存会の熱意によって「名城になった」とも言われるほどで、メディアなどでも取り上げられるようになった。城を紹介する、動画共有サービスの番組でも採り上げられ、城好きで知られる落語家の春風亭昇太さんが訪れ、久米城跡保存会が案内したと言う。そんな久米城は、毎年500 人以上の見学者が全国から訪れている。

駐車場の案内チラシと杖。駐車場を備えた山城も、実は珍しいのだとか。
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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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