
私がこの「シロバナタンポポ」のことを知ったのは、今から4年前。私が青森市にある国際芸術センター青森(ACAC)で展覧会をしたときのことだ。
展覧会を見にきてくれた人のなかには、地元のクリエーターも多かった。フリーランスでイラストレーター、デザイナーとして活動していた北畠清美さんもそのひとり。青森市の隣の板柳町に住んでいるとのことで、写真が趣味の母・千春さんと一緒に、何回か展示を見にきてくれ、言葉を交わした。
ACACの学芸員から、とても気になる話を聞いたのは、ふたりが帰ったあとのこと。「実は清美さんの家は、江戸時代に菅江真澄が逗留した『北畠家』という古い家系で、真澄が西日本から持ちこんだ、寒い青森では自生しない白いタンポポを、屋敷内で代々、育てているんですよ」という。清美さんの実家はその北畠家の傍系にあたり、実家のすぐそばの北畠本家に、その花が咲くというのだ。
菅江真澄は、江戸時代後期の紀行家で、人生の大半を旅に費やした人物だ。特に現在の秋田県など東北地方を長く旅し、青森県内各地も旅した。文章を書き、絵も描き、各地の人々の生活、産業、歴史を記録している。例えば青森といえば縄文遺跡が有名だが、真澄は日本で初めて縄文土器を絵で記録した人とも言われている。
真澄はなんのために人生をかけて旅したのか、いまだにわかっていないことも多いのだが、日本の「民俗学の祖」とも言われ、民俗学のみならず、その軌跡は考古学や国文学、果てはアートなど現代の各方面から高く評価され、いまも研究が続けられている。もし彼が現代に生きていたら、学者でありながら、インフルエンサー、マルチクリエイターと呼ばれていたかもしれない。そしておそれながら、旅のレポートに携わる私たちの偉大な先輩ともいえる。
私は大学生の時、菅江真澄の紀行文の原書講読の授業を受けていたので、俄然、興味が湧いた。「あの菅江真澄が持ってきた花が咲く古いお屋敷かあ。それはいつか見てみたいものだ……!」そう思ったが、その機会はなかなか訪れなかった。
それは、寒い青森で根付くのが難しいシロバナタンポポが、年々数を減らしており、しかも5月のたったの2週間ほどしか咲かないという理由もあった。
それから4年の月日が流れ、ついにシロバナタンポポが咲く五月の板柳に来られた、というわけだ。