
誘客主任の中野さんと私は、「道の駅すず塩田村」の施設を一緒に回っている。中野さんは、塩田村に勤めて11年になるという。
震災で変わったことも多いが、変わっていないこともある。
「隆起したことによって、この外浦地区は津波の影響を受けなかった地域でもあるんですよ。景色は確かに違うんですけど、海の美しさっていうのは、震災前と同じなんです」
塩田の隣には、うず高く薪が積まれている。中野さんは突然、クイズ番組の司会者のような顔をした。
「では、問題です。1回の塩作りに、薪はどのくらい使うと思いますか?」 見当もつかない。
「1トンくらいですかね」
「正解は4トンです」
積んである薪の大部分が1回の塩作りに使われるという。
塩作りができるのは夏のあいだだけ。作業のできない冬は、次の夏のための薪を蓄える。半年分ほどの薪が、出番を待っているという。
薪の山を抜け、中野さんが次に案内してくれたのは、塩田村から車で10分ほど行ったところにある赤神塩田だった。
塩田は8枚あり、塩田村の倍の大きさだという。ここは、5~6年前にできたばかりで、歴史はまだ浅い。
震災前までは海水を運んで潮まきをしていた。しかし、隆起によって海岸が遠くなり、いまはポンプで海水を汲み上げている。
砂が敷き詰められた塩田に海水をまき、太陽と風の力で乾かす。砂の表面に、「柄振(いぶり)」と呼ばれるグランドをならすトンボのような道具で、わざと波のようなデコボコをつける。これは、風の通り道を作り、砂を早く均一に乾かすためだ。晴れているだけでは足りない。風も必要なのだという。
「やってみますか」
社長に誘われ、私も塩集めに挑んでみた。
情けない話だが、一往復で降参した。あまりの暑さに、道ばたで焼けつくミミズの心境がわかる気がした。力加減ひとつとっても、簡単でない。私の横で、小柄なおばあちゃんがスイスイと砂を集めていく。
集めた塩は、「垂舟(たれふね)」と呼ばれる大きな箱に入れる。そこに海水を注いでろ過し、「かん水」を取り出す。
このかん水の管理を任されているのが、桶田さんだ。先代のもうひとりの弟子に当たる。
塩田作業とかん水管理を桶田さんが、釜焚きを浦さんが受け持つ。先代は2023年に亡くなり、いまはこのふたりが浜士として伝統をつないでいる。桶田さんは、真剣な顔で濃度を測っている。
「いまの時期は日差しもあって風もあって、砂がカラカラに乾いてくれるから、ちょうどいい濃度のものが取れる。日差しも風も弱かったら、砂の乾きも悪くなって濃度も落ちるから」
海水の塩分濃度はおよそ3%。そこから5倍ほどの濃さを目指し、塩分濃度計で確かめながら、足りなければまた同じ工程を繰り返す。
太陽も、風も、湿度も。人の力だけではどうにもならないものまで相手にして、塩を作る。
気の遠くなるほど手間のかかるこの製法が、なぜ500年近く、この土地で守られてきたのだろう。