
時計は、もうすぐ15時を指していた。塩の炊き上がりの予定時刻だ。私は再び、釜屋へと戻った。
釜のなかを覗く。
塩は最初に見たときと、まったく違う姿になっていた。ソフトボールのようだった塩が、八重桜の花のように開いている。さらに時間が経つと、とんがり帽子のような形になった。
それが炊き上がりの合図だという。
太陽と風にさらされた海水が、薪の炎によって、最後の姿を見せている。塩作りの工程はまるでアート作品を見ているようだった。
取材を始めてから、3時間。最初は暑くて逃げ出した釜屋なのに、いつの間にか、そこに流れる空気が心地よくなっていた。
浦さんと中野さんが話している。その会話は、職人と社員というより、家族のようだった。中野さんが、浦さんの昔の話をする。
「その日は朝、出勤してきた瞬間から顔がおかしくて。『ねえ、せいじろー大丈夫?』って聞いたら、『寝とりゃ大丈夫』って」
浦さんが笑う。
「ほんなら、そのまま入院」
「なにが大丈夫や、って。本当に」
中野さんは、本当に心配しているように怒る。浦さんは、妹に叱られる兄のような顔をして笑う。
浦さんは、震災前年に脳梗塞で倒れた。幸い、後遺症もなく退院することができたという。
「もう、本当によかったです」と中野さんがいう。
浦さんは頭をかきながら、「これでまた辞めるタイミング伸ばしてもうたな。あちゃー」そう言って笑う。
私は、カメラのレンズ越しにふたりを眺めていた。
500年の伝統を守っている。そう聞くと、もっと厳かで、重々しい世界を想像していた。けれど、ここにあるのは、笑い声だった。 暑い釜屋で汗をかき、薪をくべ、海水を汲み、砂を集める。誰かが倒れれば心配し、誰かが戻ってくれば喜ぶ。そうやって、人から人へ、塩作りが渡されてきた。 最後にあいさつをして塩田をあとにする。
ありがとう、ありがとう、と最後まで見送ってくれる。お土産にと、塩ソフトクリームをくれた。道の駅すず塩田村は、最後まで甘かった。
帰り、海沿いを走る。道路は舗装され、町は動き出している。隆起した海岸の向こうに、日本海が見えた。あの海から汲んだ水が、砂と太陽と風を通り、薪の炎で煮詰められて、塩になる。
なぜ、あの塩は甘いんだろう。
たぶん、海だけのせいではない。風だけでも、太陽だけでもない。その間にいる、人の手があるからだ。
能登はやさしや土までも――そして、塩までも。