未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
312

日本で唯一の「揚げ浜式」塩田を訪ねて 能登はやさしや、塩までも

文= きえフェルナンデス
写真= きえフェルナンデス
未知の細道 No.312 |10 September 2026
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#4それでも、浜士は戻ってきた

2024年の能登半島地震のあと、塩田村は存続の危機に直面した。

塩田村の従業員のほとんどは、震災後20日以上、道路の寸断などにより孤立していた。浜士の浦さんも同様で、しばらく経ってから富山に避難した。30人いた従業員で動けたのはわずか3人。地震の影響で電気も水道も止まった。明日、どう暮らしていくかも見えない。浦さん自身、「どうすべきか迷っていた」という。

「前の会社から連絡が来て、同級生もそこにおるもんで、もう諦めてうちに戻って来いって言われとったんです。そっちのほうが生活を立て直すのに、早いといえば早いから」

浦さんは、迷った。背中を押したのは先代の言葉だった。

<次はお前たちの番やぞ、頼むぞ>

揚げ浜式製塩は砂の上に水をまいて作られる。白い法被は職人の証し

震災からおよそ4カ月後の4月22日、例年に遅れることなく塩作りが再開された。そこには浜士・浦さんの姿もあった。

「戻ってきたスタッフはみんな、先代の言葉を思い出していたと思います」と、誘客主任の中野さんもいう。

そしてもうひとり、大きかったのが社長の存在だ。社長の石田尚史さんに、辞めようとは思わなかったのですかと質問すると、「なかった」と即答した。

「辞めるのは簡単ですよ。楽になりますよ。でも、先人たちが苦労して守ってきた500年の伝統を、簡単に放棄することはできない。この歴史を受け継ぐ仕事に携われてありがたいですし、戻ってきてくれたみんなも、そういう誇りがあるんじゃないかなと思います」

この日、石田社長は花笠をかぶり、砂をかき集め運ぶ「浜取り」として働いていた。天日で乾かした砂を集め、かん水を取り出す垂舟まで運ぶ、汗だくの力仕事だ。

「僕は浜取りとしては、素人です」そう笑う。

スタッフに混じって作業をする石田尚史社長

塩田での浜取りは、現在ボランティアも含め、13人。30年にわたって浜取りをしているベテランの「お母さん」もいれば、災害後に千葉から移住した20代の女性もいる。

浜取りのみなさん

2024年9月には、能登半島豪雨が塩田村を襲った。

釜屋のなかまで泥水が流れ込み、塩田は腰の高さまで埋まった。それを学生ボランティアたちが掘り起こしてくれた。再起不能かと思われた塩田は、いまでは驚くほどきれいになっている。大きなことを語るわけでもない。淡々と起きたことを受け止め、いま自分でできることをする。それが、ここで働く人たちの姿だった。

この「人」の存在が、浜士を続ける浦さんの活力になっているという。

「人が、こんなひどい道のなか、来てくれて。こんだけ応援してくれるというのは、すごいなと思います。いまも、移住者の方たちが手伝ってくれるから、助かっとる。こんな状態でよう手伝いに来てくれるなと思う」

塩を作りだすのは、海だけではない。人もまた、この塩を守っている。

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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