
茅葺きの釜屋に入る。そこは、まるでスチームサウナのようだった。
薪の香ばしい匂いと、曇る視界。約110度の釜のなかでは塩がグツグツと煮えたぎっている。
なにもせずとも汗ばむ陽気だ。釜屋のなかでは、早送り映像のように汗が噴き出してくる。……息ができない。私は慌てて外へ飛び出し、風にあたった。喉の渇いた犬のように息をする。恥ずかしながら、3分もたたないうちに音を上げてしまった。
浦さんは涼しい顔をして、薪を入れている。
外に出てきて、持っていたコーラを飲んでいる。待っている間、浜士になったいきさつを話してくれた。実は「もともとは運送業だった」という。
浦さんは、塩田村の隣にある仁江地区の生まれ。父親は、塩田村がまだ組合だった時代に、組合長を務めていた。小さい頃から、塩田は身近な存在だった。
高校を卒業し、埼玉で就職した。しかし、3年で引き上げ、珠洲市に戻った。そこからは父親のもとで働いていたが、リーマンショックで仕事がなくなり、運送業に転職した。
2012年のある日、配送中だった浦さんに、床屋を営む友人から一本の電話がかかってきた。そこは、先代の浜士が通っていた床屋だった。
「誰かいい人おらんか」
先代は後継者を探していた。薪などを運ぶため、運転もできる人材がよいとのことで、白羽の矢が立ったのが浦さんだった。
「おい、浜士やらんか」
その一言から、もう14年になる。
「見よう見まねでここまできたから。『潮くみ3年、潮まき10年』と言われるなかでも、釜焚きはとりわけ難しいんじゃないかな。14年たっても、自分ではまだまだやと思うとるもんで。正解がわからんから。でも、食べた人から『おいしい』って言われると、やっとって良かったなあ、と思う」
辞めたくなったときはありますか、そう質問すると「毎回!」と浦さんは目尻にしわを寄せた。
「もう焚くたびに。失敗すれば、自分のせいやから。火加減で味は変わるって言われるし、その時々で気温も違えば、薪の状態で湧く時間も違う。釜焚きは最後の段階で、毎回毎回、真剣勝負。まずけりゃ誰も買ってくれんくなるし、会社がどうなるかもこれで決まるから」
浦さんは、じっと薪を見つめている。その表情は自信に満ちた職人そのものだ。けれど、その背中には、毎回の釜焚きにかかる重圧が乗っている。
浦さんがいま、ここに立っていることは、当たり前ではなかった。