季節は4月末。山の上の春は始まったばかりだった。普段は野の花の名前なぞ知らない無粋な私でも、木々の間に一面に咲いた「ミズバショウ」には息をのんだ。「戸隠の花は白です」と市役所の人。春はミズバショウ、夏はソバの花が咲き誇る。車道のすぐ横に咲く白い花はひたすら清らかだ。
人が大勢集まっているところに車は停まった。「ここは桜が綺麗です」と、観光に訪れた人たちも桜を見ていたが、私の目はその下の山間に広がる赤いトタン屋根の集落に引き寄せられた。赤いトタン屋根は元々わらぶき屋根だったものを、人手不足や雪が積もり難いということから架け替えられてきたんだそう。どの家も大きくて、庭には農機具など置く物置のようなものがあり、周りには畑が広がる。派手さは何もない。でも、実直に紡いで来た暮らしぶりの伺える佇まいは、なんと美しいことか。忘れられない風景だ。
車に再び乗って、名物の戸隠蕎麦を食べさせてもらったり、あちこち農地なども見せてもらった(ほら、地域おこし協力隊として町に住むための見学だからね)。ずいぶんと山奥の急斜面に、もう誰も耕してない畑の跡地を見て、こんな山奥まで人が入り、作物を育て、生きてきたのか!と人間のたくましさに驚いた。そのとき私は自分の無力さに苛まれていたが、自分が思っているより人間の生きる力はだいぶすごいんだと、思わされた。今、書きながらそのことをまた噛みしめている。
そして人気の高い、戸隠キャンプ場に着いた。標高1200メートルの高原にあるそこでは、もう、もう、もう、車から降りてすぐ、目の前にドーンとそびえ立つ戸隠山の堂々たる姿にひたすら圧倒された。
戸隠山にまつわる、天ノ岩戸(あまのいわと)伝説をご存知だろうか。「古事記」や「日本書紀」に書かれ、伝えられるあらすじ(?)は少しずつ異なるものの、太陽の神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟の須佐之男命(すさのをのみこと)のあまりの狼藉に怒って天ノ岩戸(洞窟)に隠れてしまい、世界は暗闇に包まれた。そこで神々が洞窟の前で歌い踊り、その様子を見ようと天照大神が岩戸をソッと開けたとき、手力雄命(たぢからおのみこと)が岩戸を力いっぱい投げ飛ばし、大神を外にひっぱり出したとかなんとか。その飛んできた岩戸が戸隠山になったと言われる。
ほぉ~。そう言われて見ると、山というより、本当に岩がドゴンとそこに居座ってる風で、神話も信じたくなる。岩の屏風とも言われる山容は、他の山には見られない唯一無二の風景だ。ずっとずっと見ていられる。ひたすら山を見つめ「大きいなぁ」としか、言葉が出ない。大きく、そこに、あるのみ。
季節が幾つか過ぎて旅に行けるようになったら、必ずここに再訪したいと思っている。泊ってみたいと思いつつ果たせないできたからだ。テントサイトだけじゃなく、バンガローやログキャビン、別荘タイプのコテージもある。そこで、何もしないでひたすら山を見つめてみたい。きっとそのときも「大きいなぁ」しか言えないだろう。