
震災直後に東北で過ごしたことは、少なからず私の人生に影響したと思う。被害が大きかった場所にボランティアに行くことは、足がすくんでどうしてもできなかった。足は踏み出せなかった代わりに、心のなかにはずっと消えない重石が置かれた気がする。
1年後、私は仕事を辞めた。理由はいろいろとあったけれど、「いつでも東北に帰れるように」という想いも強かった。フリーランスの編集者兼ライターとして、実家に出張所をつくるような気持ちがあったのだ。
それからは折に触れて東京から東北に行くようになり、ありがたいことに仕事にも恵まれた。宮城県石巻市旧雄勝町では、ぐねぐねと曲がる山道を行ったりきたりしながら取材して『雄勝50の物語』を執筆。『トヨタ 子どもとアーティストの出会い』という冊子にライターとして参加した際には、南三陸町のきりこプロジェクトについて取材した。
これらの取材の根っこには、いつも東日本大震災が横たわっていた。壮絶な体験をした人から語られる言葉や土地の在りように、生々しく向き合うことは苦しいけれど、ライターだからこその体験だと思う。
そして2018年秋、福島県南相馬市の地域おこし協力隊であるニシヤマリカさんから、市役所発行の冊子の編集者という大役の声がかかった。ニシヤマさんは私と同世代のデザイナー。東京で働いていたが郷里の福島にUターンし、2018年からは、実家のあった富岡町にほど近い南相馬の「起業型地域おこし協力隊員」(※)になっていたのだ。
※「地域おこし協力隊」は2009年度から総務省が始めた制度で、1~3年以下という決まった期間地方に移住し、行政の委託を受けて地域の問題解決や発展のための活動を行うもの。「起業型地域おこし協力隊」は、準備期間を経て起業することを条件としている。