未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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年間1万人が訪れる美深町の廃線 トロッコに乗って風の歌を聴く

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.190 |28 July 2021
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#2美深町に「日本一の赤字線」

PO法人トロッコ王国美深の岩崎泰好さん。美幸線に乗車したこともある。

なぜ、美深町にトロッコが? という疑問の答えは、町の歴史に深くかかわっている。取材に応えてくれたのは、「トロッコ王国美深」を運営しているNPO法人トロッコ王国美深の広報管理部の岩崎泰好さん。美深町出身で、美深町の町会議員も務めている、生粋の美深っ子だ。

実際に使用されていた仁宇布駅の表示。

「美深町には、旧国鉄の美幸線(びこうせん)が走っていました。計画では、美深駅からオホーツク海沿岸の北見枝幸駅まで80キロ弱の路線になる予定で、工事の関係で美深町駅から美深町内の仁宇布駅まで一部開通して営業を始めたのが、昭和39年(1964年)です。部分開通した頃にはこの地域の人口も多くて、1日5往復ほど走っていましたね」

上から2段目が1969年(昭和44年)の美幸線の運行ダイヤ。

1964年と言えば、アジア初のオリンピックとなる東京オリンピックが開催された年。当時は日本中が五輪景気に沸いていて、美深町にも1万3000人を超える住民がいたから(昭和40年の統計参照)、いずれオホーツク海までつながる路線として晴れやかに開通したのかもしれない。

美幸線は仁宇布駅を出て左上の辺渓、東美深、美深までの4駅だった。

しかし、ふたを開けてみれば美深駅から仁宇布駅まで4駅、約20キロという短い区間に乗車する人はそれほどいなかった。100円の営業収益を得るために必要な営業費用の指数を「営業係数」といい、開業から10年後の1974年度(昭和49)の営業係数は3859円(100円の収入に対して支出が3859円)に達し、国鉄でワースト1位になってしまう。それを逆手にとって、当時の町長が「日本一の赤字線」と宣伝したことで、美幸線は一気に全国区になった。

ちなみに、1980年の美深町の人口は9620人で、10年間で住民がおよそ4分の1も減ってしまった。それは美深駅―仁宇布駅間が開通したまさに同じ1964年に木材の輸入が自由化され、町の主要産業だった林業が大きな打撃を受けたことが理由のひとつとして推察される。

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