未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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農業未経験でヘーゼルナッツ栽培に挑んだ男の12年 閑静な住宅街に行列ができる「一度も凍らせないアイス」誕生の舞台裏

文= 白石果林
写真= 白石果林
未知の細道 No.283 |25 June 2025
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#215歳から働き詰めの日々

岡田さんは1960年、長野市で生まれた。貧しい家庭で、親からは「欲しいものがあったら自分で稼ぎなさい」と言われて育った。近所のアイス屋でアルバイトを始めたのは15歳、高校1年生の時。理由は「アイスが大好きだったから」。

朝は新聞配達、昼前には学校を早退してアイス屋へ。閉店作業を終えると、先輩から紹介されたスナックで夜の1時まで皿洗い。寝る間を惜しんで働き、月に15万ほどの収入を得た。稼いだお金は、趣味のバイクに注ぎ込んだ。

「僕はいわゆるADHDで、勉強が嫌いだし学校にも行きたくなかった。そのかわり働くのが大好きでした。自分は能力のない人間だと思っていたから、人の倍働こうと思ったんです。楽しく働くコツは、なんでも天職だと思い込むことです」

岡田さんは、自身の特性について「忘れ物が多く、言われたことをすぐ忘れてしまう」と話す。しかし、高校入試は学年2位の成績で合格。「入試前の1週間、過去問を解いただけ」というから驚く。のちに判明したのは、IQ147と平均を大きく上回る知能を持っていることだった。

高校卒業後にアイス屋の正社員になると、18歳で新店舗の店長に抜擢される。アイスづくりから細かな数字のことまで、店舗経営の知識を網羅していたことを評価されたのだ。

3年が経ち店長というポジションにも慣れた頃、斜め向かいのテナントに入ったイタリアンの店を見て、突然思った。「スパゲッティをやってみたい!」。

「僕の特性なんですけど、すごく飽き性なんです。意識が完全にそっちにいっちゃっいました」

調理師の免許をとって、アイス屋を退職。縁があった地元で有名なパン屋の社長に「イタリアンレストランを紹介してもらえませんか?」と相談すると、「うちに来い」と誘われた。「まあ、それもいいか」。イタリアンの夢はあっさりと諦めた。

21歳でパンや洋菓子作りに舵を切り、23歳で「ピクニック 岡田店」という自分の名前を冠した店を任される。この頃の収入は50万を超えていた。

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