
岡田さんは1960年、長野市で生まれた。貧しい家庭で、親からは「欲しいものがあったら自分で稼ぎなさい」と言われて育った。近所のアイス屋でアルバイトを始めたのは15歳、高校1年生の時。理由は「アイスが大好きだったから」。
朝は新聞配達、昼前には学校を早退してアイス屋へ。閉店作業を終えると、先輩から紹介されたスナックで夜の1時まで皿洗い。寝る間を惜しんで働き、月に15万ほどの収入を得た。稼いだお金は、趣味のバイクに注ぎ込んだ。
「僕はいわゆるADHDで、勉強が嫌いだし学校にも行きたくなかった。そのかわり働くのが大好きでした。自分は能力のない人間だと思っていたから、人の倍働こうと思ったんです。楽しく働くコツは、なんでも天職だと思い込むことです」
岡田さんは、自身の特性について「忘れ物が多く、言われたことをすぐ忘れてしまう」と話す。しかし、高校入試は学年2位の成績で合格。「入試前の1週間、過去問を解いただけ」というから驚く。のちに判明したのは、IQ147と平均を大きく上回る知能を持っていることだった。
高校卒業後にアイス屋の正社員になると、18歳で新店舗の店長に抜擢される。アイスづくりから細かな数字のことまで、店舗経営の知識を網羅していたことを評価されたのだ。
3年が経ち店長というポジションにも慣れた頃、斜め向かいのテナントに入ったイタリアンの店を見て、突然思った。「スパゲッティをやってみたい!」。
「僕の特性なんですけど、すごく飽き性なんです。意識が完全にそっちにいっちゃっいました」
調理師の免許をとって、アイス屋を退職。縁があった地元で有名なパン屋の社長に「イタリアンレストランを紹介してもらえませんか?」と相談すると、「うちに来い」と誘われた。「まあ、それもいいか」。イタリアンの夢はあっさりと諦めた。
21歳でパンや洋菓子作りに舵を切り、23歳で「ピクニック 岡田店」という自分の名前を冠した店を任される。この頃の収入は50万を超えていた。