
「岡田さん、実が落ちてるよ!」
試験栽培を始めて2年目。知人にそう言われ畑に目をやると、ヘーゼルナッツの実が落ちていた。たった8粒。しかし、岡田さんにとってそれは大きな収穫だった。
「輸入したヘーゼルナッツは、袋を開けると酸化したような独特の匂いがするんです。自分で栽培した果実を手に取ったとき、香りがぜんぜん違うと感じました」
3年目に1500粒収穫できたとき「これは本腰を入れて取り組んでいい事業だ」と確信する。岡田さんは、世界一おいしいと言われるイタリア・ピアモンテ産の苗木「トンダ・ジェンティーレ・デッレ・ランゲ種」の輸入を始めた。
「ヘーゼルナッツは農業未経験でも栽培できることがわかりました。育てるのも収穫作業も、ほかの農作物に比べてすごく手軽なんです」
一般的な農作物は果実が落ちて傷がつくと商品にならないが、ヘーゼルナッツは食べごろになると勝手に地面に落ちる。丸っこいどんぐりのような小さな果実を拾い集めるだけの収穫は、軽量で高所での作業もなく、体への負担が少ない。
さらに「ヘーゼルナッツは生命力が強い」という。寒さに強く、病害虫の影響が少ない。そして無農薬、無消毒、無肥料、無潅水で栽培できる。収量を上げるには施肥、消毒が必要になるが、 下草を刈って、剪定するだけでしっかり育つことがわかった。
岡田さんはこの成果を、日本を代表するショコラティエである「テオブロマ」の土屋公二さんに報告しに行った。会社を辞めることも、未経験で農業を始めることも、心配しながら見守ってくれていた「戦友のような存在」だ。
ひと通り話を聞き終えると、土屋さんは言った。
「岡田さんがつくったヘーゼルナッツで、僕が賞をとるよ」
土屋さんの言葉が現実となったのは、6年後の2021年。
世界中の生産者がエントリーするコンクール「Academy of Chocolate(アカデミー オブ チョコレート)」のヘーゼルナッツ部門で、土屋さんは日本人初となる銅賞を獲得した。
その名も、「ヘーゼルナッツ長野」。
「ヘーゼルナッツ部門の賞は、すべてイタリアがかっさらっていくのが通例でした。だから日本人初の受賞、そして『ヘーゼルナッツ長野』が世界に発信された瞬間は本当に嬉しかったです」