僕に攻略法を伝授してくれたのは、「おしゃまんべ毛がにまつり」を主催する長万部商工会の事務局長、加藤慶一さん。北海道の南、函館に近い森町で生まれ、5歳から58年間、長万部で暮らしてきた。町役場で定年まで勤めあげ、事務局長に就いて3年目だ。
「おしゃまんべ毛がにまつりは、1980年に長万部町商工観光祭りとして始まり、1999年にいまの名称に変わりました。今年(2025年)で46回目です。長万部は昔から毛ガニがたくさん獲れたところで、かなやのかにめしが駅弁の全国大会で優勝したこともあって、長万部といえば毛ガニという印象が強いので、祭りの名前を変えたと聞いています」
ちょうど森町のあたりから長万部町を経て室蘭市まで半円を描くような大きな湾になっていて、内浦湾(噴火湾)と呼ばれる。内浦湾は水産資源が豊富で、毛ガニもそのひとつ。そして、加藤さんが言うように、長万部町の名を毛ガニで全国区にしたのが、「かにめし本舗かなや」のかにめし弁当だ。
長万部駅前に社屋を構える「かにめし本舗かなや」の創業は、1928年。この年、長万部から東輪西(現在の東室蘭)を結ぶ長輪線(現在の室蘭本線)が開通し、長万部駅で10分から20分間停車するようになった。同社の取締役で統括本部長を務める松島徹さんによると、そこに目を付けたのが初代社長の金谷勝次郎さんで、父親が経営していた宿で弁当を作り、駅のホームで販売するようになったそう。創業当時に売っていたのは普通の弁当で、かにめし弁当が登場するのはもっと後の話だ。
1947年、戦後の食糧難で食材の調達が難しかったこの時期、勝次郎さんの妻が内浦湾で大量に獲れた毛ガニを塩茹でし、駅で「煮がに」として販売。これがヒットしたのがきっかけで、弁当にしようという案が出る。
勝次郎さんが料理人の伊藤友一さんと組んで、試作を重ねること50種類以上。国鉄(JR)の職員にも試食を頼み、1950年にようやく完成したのが現在のかにめし弁当だ。
「まず、身をほぐしたかにと食感を出すために入れるタケノコを炒って、水分を飛ばします。30分ほど炒ることでかにの香ばしさが凝縮されて、シャキッとしたタケノコの食感とよく合うんです。かにの旨みを引き出すため、味付けは塩、コショウとシンプルで、いまも変わっていません」
これが、瞬く間にヒット商品となる。15名の売り子がそれぞれ100個の弁当を持って駅のホームで売り歩き、それでもすぐに売り切れて店まで補充に走ることもあったという。
その人気は、本物だった。1966年、日刊スポーツ新聞社主催の「全国駅弁紙上コンクール」で優勝。以降、さまざまな駅弁フェアで扱われるようになり、「全国駅弁コンクール」(日本観光新聞主催/1967)や第4回、5回の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」(京王百貨店/1969、1970)で1位を獲得する。
これで「かにめし本舗かなや」とかにめし弁当の名は広く知れ渡り、長万部にも観光客が押し寄せるようになった。1973年、国道5号線沿いに直営の「ドライブインかなや」をオープンすると観光バスの目的地になり、多い時には1500人の団体客に食事を提供していたそうだ。
ちなみに、かにめし弁当が生まれたばかりの頃は内浦湾で獲れた毛ガニを使っていたが、乱獲によって内浦湾で毛ガニが獲れなくなったため、途中からは毛ガニと輸入したズワイガニを混ぜて使うようになった。毛ガニがすっかり高級品になった現在は、輸入ズワイガニだけを使っている。もしいま、内浦湾の毛ガニだけで弁当を作ると、ひとつ3000円を超えるらしい。それでも食べてみたいという人も多いだろう。