
母と娘と一緒に会場まで歩く。
にわか雨の天気予報が出ていて、湿気を含んだ空気はまだ少し蒸し暑い。
「芋煮だけじゃお腹いっぱいにならないからおにぎりを持っていこう。敷物も忘れずに」
私もフェスティバル以外の芋煮会には何度も参加してきたから、地元民の知恵は記憶に残っている。
山形で生まれ、山形で育った私にとって、秋と芋煮は切っても切り離せない。
物心ついたときから、朝晩の風が少し冷たくなり稲の色が変わるころ、秋の気配を感じるたびに、「そろそろ芋煮会の季節だな」と思ったものだ。 町内の子ども会でも、学校行事でも、スポーツ少年団でも、 9月、10月の週末はほとんど芋煮会で埋まっていた。
スーパーで「芋煮セット」を注文し、 大鍋や薪、食材を手分けして馬見ヶ崎川の河川敷へ運ぶ。
着いたらまず場所取り、そしてかまどを作るための石探し。
天気が悪ければ橋の下は場所取り合戦だ。
里芋の皮をむく人、こんにゃくをちぎる人、牛肉やネギを切る人、火を起こす人。
それぞれが役割を分担して、ひとつの鍋を囲む。そして車座になって食べる。その一体感こそが、山形の秋だった。
故郷を離れて25年、秋に帰国するのはなかなか難しいけれど、帰省するたびに母には決まってこう頼む。
「芋煮、作って」。
ミラノのオリエンタルスーパーで里芋とこんにゃくを見つけて無理やり作ってみたこともあったが、それは"芋煮風の何か"。心と体を満足させる故郷の味には程遠かった。
久しぶりに秋の山形に帰省した今回は、実家近くのスーパーをいくつか回ってみた。
どこの店にも「芋煮コーナー」がある。里芋、こんにゃく、牛肉、ネギ、割り下のボトル。「鍋貸し出します!」のポップの横には、薪が高く積まれている。


その棚を見ているだけで心に「芋煮やろうぜ」のスイッチが入る、それが山形っ子じゃないだろうか。