
青年部の活動には、明確な目的がある。
それは「芋煮を通して山形をPRし、地場産業の発展に貢献する」こと。
この理念は、取材中に実行委員長の五十嵐さんの口から何度も聞かれた言葉だった。
「芋煮会フェスティバルは、ただの食のイベントじゃないんです。芋煮をきっかけに山形を知ってもらう、そこが僕らの原点なんですよ」
その目的を守るために、フェスティバルは幾度となく試練と挑戦を繰り返してきた。
第30回目のフェスティバルとなった2018年、二代目の鍋太郎が老朽化したため、青年部はクラウドファンディングで直径6.5メートルの三代目・鍋太郎を作った。目標金額 2,700万円に対し、集まった寄付は3,000万円を超え大成功。この勢いでギネス世界記録にも挑戦し、「8時間で最も多く提供されたスープ(12,695人)」という記録を達成した。
しかし、当時調理部会に所属していた五十嵐さんの記憶は、喜びよりも緊張に満ちている。
「最後の500人分が配れなかったんです。『もう芋煮がないのにお客さんが並んでる』って、高校生のボランティアは泣きそうになって……」
ギネス挑戦に課された課題は、フードロスを出さないこと。初めて使う鍋で汁一滴も残さないために、あと何食配れるか。だれも予測がつかなかったのだ。
ギネス達成はできたものの、大鍋の芋煮を心待ちにしていた500人に頭を下げた苦い体験。その悔しさが翌年以降の改善につながる。
「どうすればスムーズに配れるか」「どうすれば混乱を防げるか」。
リアルタイムのSNS発信、事前のQRコード決済、一つひとつの工夫が積み重なり、今の「待たせない芋煮会」が生まれた。
現在の広報部会を担う富塚さんは、こう話す。
「"今なら並ばず食べられます"とか、"サンマは残り100匹です"と発信すると、お客さんは動きやすいですよね。現場の状況をリアルタイムで共有できるのは、すごく大きいです」
2020年、コロナ禍でフェスティバルが中止となった年も、青年部は歩みを止めなかった。当時本部長だった五十嵐さんは、4月に中止を決定したあと、どうしたら芋煮を届けられるかを、チーム一丸で考えた。
「ドライブスルーなら安全にできる。 車の中で受け取って、自分の好きな場所で食べてもらえればいい!」
こうして生まれた"ドライブスルー芋煮"では、4000食を無事に提供。その経験は後のグッズ制作にも活かされた。
翌年は予定通りフェスティバルを開催するつもりで動いていたが、感染への懸念を受けて8月上旬に、事前予約制でテイクアウトの芋煮セットを提供する方式に変更した。しかし、夏休み期間中の感染者増を受けて、開始一か月前に断腸の想いでイベントを中止。直後は「もうすべてが嫌になった」ときもあったというが、「山形に来られなくても芋煮を楽しんでほしい」と、使うはずだった食材をレトルトにして申し込んだ人たちに郵送した。
イベントを止めても、「芋煮を通して山形を伝える」という使命は止まらなかった。
五十嵐さんは静かに言う。
「できない理由を探すより、どうやったらできるかを考える。それが僕ら青年部のやり方なんです」