
手にした前売り券は9時20分の回。お昼にはずいぶん早いが、理由がある。
数日前、大鍋設置の日時を教えてくれた実行委員の方が言っていた。
「時間が経つにつれて具が煮詰まって溶けちゃうから、早い時間が一番おいしいですよ」
その言葉に従い、"ブランチ芋煮"を食べることにしたのだ。
河川敷に近づくにつれて、いろいろな匂いが風に混じる。
日本一の芋煮会フェスティバルでは、鍋太郎での大鍋芋煮以外にも、河川敷の特設ゾーンで山形のいろいろな味が楽しめる。サンマ祭りゾーンでは炭火焼の煙が風に流れ、3メートルの大鍋で作る「しお芋煮」ゾーンでは、既に行列ができていた。
けれど、まず目指すのは大鍋「鍋太郎」だ。
河川敷の両岸をつなぐ仮設橋を渡って近づくと、鉄の巨体の周りには人だかりができていた。
直径 6.5メートルの大鍋も圧巻だが、さらに目を奪うのは配膳の方法だ。
3万食分の芋煮を、大鍋からお玉やひしゃくで一杯ずつお椀によそうのは不可能。そこで代わりに活躍するのが、なんと建設用のバックホーだ。
新品おろしたて、部品まで手洗いして準備された専用の重機が、大鍋から芋煮をすくい上げる。一度のバケットで約100食分。それを通常の芋煮鍋に移してからお客さんには配膳するのだ。
大鍋「鍋太郎」の真横でフル可動するバックホーの大迫力のパフォーマンスは、この祭りならでは。クレーンの腕がゆっくりと上がり、バゲットの端からスープや具がこぼれるたびに「うわぁ!」と歓声が上がる。
スマホを構える人、子どもを肩車する父親。
「日本一の芋煮会フェスティバル」でしか見られない光景なんじゃないだろうか。
会場アナウンスが響く。「前売り券をお持ちの方はAゲートへお進みください」
早めにゲートに向かうと、9時の回の人たちがすでに並んでいた。
「9時20分のチケットなんですが……」と尋ねると、 空色のTシャツを着た実行委員が笑顔で答えた。
「こちらに並んでもいいのですが、右手のゲートを9時20分ぴったりに開けますので、その時間に来ていただければ並ばずに入れますよ」
9時20分、ゲートオープン。
案内に従って進むと、驚くほどスムーズに列が流れ、5分もかからず芋煮を受け取ることができた。隣に並んでいた女性は、「うちは家族全員分だから鍋を持ってきたの」と配膳係の人と笑い合いながら、人数分の芋煮を鍋によそってもらっている。
母は感心したように言った。
「昔はね、並んで並んで、なかなか食べられないこともあったのよ」
小雨が降ってきたが、傘をさすほどでもなさそうだ。敷物を広げて座ると、手にしたお椀を見つめる。
一口目。
澄んだ醤油の香りが鼻に抜け、ちょうどいい固さに煮えた里芋が口の中でほろりと崩れる。こんにゃくの歯ごたえ、牛肉の旨味、ネギの甘さ。
それらが一体になって、口の中で秋の空気に溶けていく。
「外で食べる芋煮も美味しいね」
笑いかけると母が頷く。
娘はあっという間に芋煮を平らげて、おにぎりにかぶりついた。
あぁ、芋煮会ってこうだったよな。
懐かしい場所、懐かしい味を、五感でじっくり感じながら、嬉しさがこみあげてきた。