「私、いつか、ここに住む気がする」
初めて中央アジアを訪れたとき、香織さんが感じた予感は当たった。日本で暮らしていたふたりは東日本大震災を機に、一時的にシェルさんの実家であるキルギス共和国で暮らすことになったのだ。
そこで香織さんを待っていたのは、厳しい花嫁修業だった。
「それまでずっと実家暮らしで、家事は母にやってもらっていたんです。そんな私が、突然キルギスに嫁いだ。10部屋以上ある大きな家の中を掃除したり、慣れない料理をしなければならなくて。向こうの人にとってはお嫁さんがするのは当たり前。みんながこなしていることが、日本で生まれ育った私には大変でした」
いくら掃除しても舞い上がる砂埃や、水から沸かさなければならないお湯など、一般的な家事以前に環境の違いに苦労したという。ただ当時苦労したそれらの問題は、近年環境が整ったことで解決されているのが悔しい、と香織さんは笑った。
「もうひとつ大変だったのは、予定が立てられないこと。向こうの人って予定を立てないので『今日の予定は何ですか』って聞くと笑われていましたね。向こうでは、約束していないのに毎日何人も来客があるんです。しかも突然来て、ごはんを食べていったりする。だから、ごはんはいつも多めに作るし、予定は立てない」
キルギスでおこなったふたりの結婚式も、2日前に日にちが決まった。それにも関わらず1000人以上が参加したというのだから、参加者の人々もきっと2日後の予定を立てていなかったのだろう。
ある程度ウズベク語は話せたものの、日本人どころか外国人すら一切いない場所での暮らし。現在、3人のお子さんを育てながら、ベーカリーを切り盛りする香織さんの機敏さは、そんな厳しい花嫁修業と臨機応変に動かなければいけない日々のなかで培ったものなのかもしれない。
「実は帰国後、産休中だったこともあって、すごく暇になっちゃったんです。キルギスに比べたら、小さい家の掃除なんてすぐ終わっちゃうしね。そのときに立ち上げた、中央アジアのものを販売するオンラインショップで、今はノンの販売もしています」