「いわきの化石発掘名人と言えば、ぜひ鈴木千里さんを訪ねるといい」いわき在住のライター仲間が情報をくれた。
鈴木さんは海辺の街、四倉で鈴木製麺を営んでいる。今は息子の友明さんに代を譲り、本業では製麺会社の会長だが、いわきでは有名な化石ハンターでもある。
発掘歴は60年以上。自身の名前”チサト”の名が付けられた新種のアンモナイトや、新属新種のカメムシが入ったコハクの発見などで、ニュースになったことも度々ある。ちなみに新属新種の「属」とは「種」より一つ上の生物分類上の段階で、それだけ発見するのは難しい。まさに古生物学の研究者も一目置く存在なのだ。
これまで採取した化石はおよそ2万点。その多くが学術的に重要なもので、県立博物館に寄贈されたり、研究者に託されたりしている。
子どもの頃からこだわりが強く、ひとつのことを納得するまで解明するのが好き。それゆえに周囲には変わり者と言われていたという鈴木さん。
「気になることがあると、すぐに確かめるためにすっ飛んでいっちゃう。そんな子どもだったから、周囲からは心配されてね」
小学5年生の頃、チリ沖地震があったときは「津波で港が大変なことになっている」と街の人がいうのを聞き、港まで飛んでいった。
「真っ黒な海に漁船が一艘くるくる回っているのを見た記憶が今でもしっかり残っているんですよ」
今日では避けるべき行動だが、それほどの抑えきれない好奇心があったということだ。
小学生の頃から遺跡や土器など古代のものにロマンを感じていたという鈴木さん。小学校のそばに四倉史学館という土器や化石などを展示する施設がオープンすると、すぐに駆けつけた。そこで出会った元四倉史学館長の故・小桧山元先生に指導を受けるうちに、化石発掘に熱中するようになったという。
また家から通える場所に三葉虫時代や恐竜時代の地層があったため、時間を見つけては友達と化石発掘に出かけるように。発見した化石は小桧山先生に鑑定してもらう。そのうちに次第に化石の魅力に引き込まれていったという。
社会人になってからも、仕事のない日曜日は、化石採集に出かける日常を続けてきた鈴木さん。40歳の頃、いつものように出かけた先で、とんでもない光景を目にしたという。
これは、鈴木さんが残している自分史の記録の一部だ。
『1982年8月27日、いわき市大久町足沢付近の常磐交通停留所まで来たところ、工事の音が聞こえた。音がする方を見上げてみるとトウモロコシ畑の斜面をブルドーザーで押すのが見えた。近づいてみると大変なことが目に飛び込んできた。巨大アンモナイト「メソプゾシア」数個が地面より掘り起こされている……』
「これは工事をストップさせなければ……」咄嗟に思った鈴木さんは慌てて、市の教育委員会に連絡。そこには、旧知の化石発掘仲間がいた。知らせをうけ、すぐに現場に駆けつけた教育委員会は、巨大アンモナイトの産出を見て、その重要性をはっきりと認識。
工事はストップされ、詳細な調査が行われた。幸いなことに地主の理解もあった。そして市がふるさと創生資金を使って土地を買い上げ、「いわき市アンモナイトセンター」の建設に至ったのだという。
鈴木さんの偶然の発見が、今日のアンモナイトセンターの誕生につながった。知られざる大きな功績の一つではないだろうか。
鈴木さんは長年、たったひとりで山に入り、整備されていない険しい道を歩きながら、化石を探してきた。化石発掘に体力は欠かせない。
「最近はパワーがなくなってきてね。山歩きがきつくなってきたので、家でできる別のことに熱中していますよ」と鈴木さん。
「私が今狙っているのは、哺乳類の中でもげっ歯類のネズミの歯です。白亜紀のネズミだから、今のネズミとはぜんぜん違いますよ。そのネズミから哺乳類は進化していくわけなので、人間の祖先にもあたる存在です」
げっ歯類の歯は、1~2ミリとごく小さい。鈴木さんは、比較的通いやすい白亜紀の地層から採取した土を一旦家に持ち帰り、そこから歯を探す作業に熱中しているのだという。そのやり方は、土を1ミリメッシュでふるいにかけ、残ったものを一つひとつ拡大鏡と顕微鏡で丹念に調べていくという方法だ。これなら山を歩き回って探す必要はない。しかも、すでに微小な歯の化石を複数発見しているという。
「海の地層だから魚の歯もたくさん入っていると思います。一つひとつ確認していくのは途方もない作業ですけど、今の楽しみですね」
すでに数多くの貴重な発見してきた鈴木さんだが、その情熱は少しも衰えるところがない。