未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
292

山形県山形市

夜明け前、巨大な鍋が空を飛ぶ
山形の秋を象徴する「日本一の芋煮会フェスティバル」を動かすのは、地元の青年たちの情熱だ。
山形出身でありながら初めて現場に立った筆者が、6.5メートルの大鍋が結ぶ"人の輪"を追った。

文= ロマーノ尚美
写真= ロマーノ尚美(表記があるもの以外すべて)
未知の細道 No.292 |10 November 2025
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山形県山形市

最寄りのICから【E48】山形自動車道「山形北IC」を下車

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#1午前5時、鍋は空を飛んだ

朝4時半、バイブレーションモードにしておいた目覚ましを慌てて止める。 家族を起こさないようにそっと身支度をして出た外は、まだ夜の続きのような暗さだ。

すれ違う車もほとんどない時間帯。けれど、馬見ヶ崎川にかかる双月橋に近づくにつれて、人の気配が増えていく。
「芋煮やろうぜ!」と書かれた空色のTシャツを着た人、 カメラやマイクを担いだ人、小さな子どもの手を引く父親。

みんな、今日この瞬間「第37回 日本一の芋煮会フェスティバル」の主役、大鍋「鍋太郎」が展示台からイベント会場へと"空を飛ぶ"設置作業を見届けにきたのだ。

私は山形市で生まれ育ち、家から会場までは歩いて20分ほど。でも、1989年にこのフェスティバルが始まった当時は部活や受験に忙しく、一度も参加したことがなかった。その後は進学のために故郷を離れ、さらにイタリアに渡り、日本に帰ってくるのは夏休みか年末年始。今回は夏休みをずらして9月にしたため、ようやく、ずっと気になる存在だった鍋太郎の"晴れ舞台"にタイミングが合ったのだ。

帰省してから数日、実家の近所にあるフェスティバルの会場では設営がどんどん進んでいた。その様子を眺めていたら、空色のTシャツを着た実行委員の方に「10日の朝5時から鍋を設置しますよ」と教えてもらった。「これを逃したら、次はいつ見られるかわからない」。今朝、気合いと興奮を胸に暗い寝床を飛び出したのは、きっと私だけではないだろう。

車両の通行を止めた道路の暗闇のなかで、クレーン車と大型トラックのライトが光っている。作業員は巨大な鉄の塊に登り、クレーン車の金具をかけていく。歩道では、いまか、いまかと待つ人の列が長くなっていった。そして、クレーン車のエンジン音が低く唸りをあげると、展示台の上に鎮座していた三代目・鍋太郎が、 ゆっくりと宙に浮かび上がった。

私はなんとなく、クレーンで釣り上げられた大鍋がびゅーんと空を飛び、河川敷のイベント会場に設置されたかまどまで飛行を楽しむ光景を想像していた。ただ、展示台からかまどまでは100メートルぐらい。4トンの巨体を動かすには、さすがに遠すぎる。

一度大型トラックに載せられた鍋太郎は、少しずつ運ばれ、10メートルほど進んで止まった。鍋と道路の幅は同じぐらいだろうか。再びクレーンは腕を伸ばし、鍋を吊り上げる。今度こそ、鍋太郎は空を飛び、歩道のすぐ下の河川敷の草地に降ろされた。そこで初めて、私は今まで見上げていた鍋太郎を見下ろした。

鍋と同じ直径6.5メートルの蓋が外されると、作業員が鍋の中に入り内部を点検する。鍋は人の背丈よりも深い。これが数日後、芋煮でいっぱいになるのか、と、信じられない気持ちになった。

その間にクレーン車と大型トラックは河川敷に移動する。鍋太郎は草地から再び大型トラックに乗せられ、かまどの近くに運ばれ、合計4度目の"飛行"のあと、ようやく"晴れ舞台"の定位置であるかまどの上に着地した。

見守っていた実行委員たちの輪から拍手が起こる。 夜が明けた河川敷に堂々と鎮座する鍋太郎の姿に、私はカメラを持つ手を下ろし、つられるように手を叩いた。

さぁ、舞台は整った。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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