未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
294

宇宙の出島「コスモアイル羽咋」へ――本物を信じた男の軌跡を追って あなたはUFOを見たことがありますか?

文= きえフェルナンデス
写真= きえフェルナンデス
未知の細道 No.294 |10 December 2025
この記事をはじめから読む

#5「ハッタリ」から始まる物語

当時を振り返る高野さん

ーーまず、UFOに興味のある人を集めました。月会費500円で12人。20代から30代の若者たちです。その名も「羽咋ミステリークラブ」。

町おこしするにも手元にあるのは、その古文書のコピーだけ。これだけじゃダメだなと思い、ふとメンバーを見たら、うどん屋の宮崎がいた。

「お前のところ、うどん屋だろ? UFOうどん作ってくれないか」と頼みました。ところが彼の父親は猛反対。「末代の恥になるからやめとけ」と言われてしまった。

困りました。というのも、すでに週刊プレイボーイに情報を流してしまい、記者が来ることになっていたからです。宮崎に「いつ来るんだ?」と聞かれ、この日だと答えると、「その日なら親父は組合の会合で留守だ」と分かり、そこで決行しました。

三角の油揚げにナルト、貝割れ大根を渦巻き状にして、ワカメと生卵を添える。

「月夜の晩、草むらにUFOが着陸してる姿です。名付けて“元祖UFOうどん”!」

強面の記者に、そう説明しました。記者がこのうどんを見た瞬間、目を閉じたんです。僕は汗だくになりました。「ふざけんじゃねえ」って、テーブルをひっくり返されて帰られるかもしれない、と。けど、パッと目を開けて、彼が言ったんです。

「面白いじゃない」

6ページの特集になりました。「能登半島にUFOの基地ができた」って。実際あるのは、まだUFOうどんだけなのに(笑)。

ハッタリ? そうですよ。僕の思考方法は、失敗したらどうしようとは考えない。万が一、成功したらどうしよう、黒字になったらどうしようって考えます。そうするとワクワクが止まらなくなる。これを持続させるんです。

次に考えたのは、「UFOの国際会議ができたらどうしよう」でした。もうワクワクが止まらないんですよ。

実際、1990年11月17日に「第1回 宇宙とUFO国際シンポジウム」が開催されることになりました。資金集めのため、8人で上京し企業を回りましたが、紙切れ1枚の企画書では門前払い。大手食品会社の広報部長に叱られながら本格的な企画書を学び、作り直したところ、3カ月で4000万円の協賛金を集めることができました。シンポジウムでは約2万人の羽咋市に、4万5000人以上が集まったんです。

「親父」であるコールマン大佐も招待し、元国連広報担当官としてスピーチしてもらいました。

国際シンポジウムの大成功をきっかけに、「UFOの町」の拠点になるような施設が欲しいという話が出ました。当時、自治省(現・総務省)が「リーディングプロジェクト」という制度を設けていて、先導性のある事業には国が予算の9割を負担してくれる仕組みでした。そこで僕は提案したんです。

その名もーー「宇宙の出島、能登羽咋プロジェクト」。

江戸時代、長崎の出島が西洋文化の玄関口だったように、もしUFOという現代の“黒船”が来るなら、日本にも宇宙への窓口があってもいいじゃないか。そう思ったんです。

すると、自治省の職員が食いつきました。「面白いじゃないですか」と言ってくれて、総額52億6000万円のうち、国が90%を出してくれることになった。つまり、市の負担は5億2600万円。これで博物館が建てられる。

しかし問題がありました。

予算の大半が図書館や大ホールに消え、宇宙展示に使えるのはたった2億5000万円。予算がないので業者の提案は、惑星の模型ばかりでした。だから僕は、提案したんです。

「これ、本物の宇宙船とかロケットに代えることはできませんか」と。

鼻で笑われました。それで僕は、市長に直談判しに行きました。

「僕が交渉してくるから、3カ月間だけアメリカに行かせてください。その間に取りまとめてきます」

このエントリーをはてなブックマークに追加

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。