未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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本場アメリカで頂点を極めたホットな味! 世界一のキューバサンドを東京で食べる。

文= 川内イオ
写真= 川内イオ、三村健二、竹田りな
未知の細道 No.295 |25 December 2025
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#2プロスケーターへの道を諦めて

五差路に面した珍しい立地の「PAN」。

船井さんの地元は、「PAN」のすぐ近く。子どもの頃から食べることが大好きで、小学生の頃には母親からチャーハンのレシピを教り、自分で作って食べていた。当時はなにごとも緩い時代で、最初にアルバイトをしたのは中学3年生の時。近所のそば屋で配膳をした。まかないで天せいろを食べてさせてもらったのが忘れられないという。

高校時代は焼肉の牛角、専門学校の東京スクール・オブ・ビジネス(現在の東京ビジネス・アカデミー)に進学してからは、ステーキチェーンの「ケネディ」(2017年に破産)でアルバイトをした。マニュアルに従って調理をする牛角から、自家製のステーキソースやガーリックバターなどを仕込んでいたケネディに移り、料理の楽しさに目覚めていった。

しかし、料理人になるつもりはなかった。この頃の船井さんには、夢があった。小学生の頃から続けているスケボーで、プロになりたいと思っていたのだ。東京スクール・オブ・ビジネスを選んだのも、学校の屋上にスケボーのパークがあったからだった。

大田区で開かれた大会で2位になり、スケボー雑誌『THRASHER(スラッシャー』で大きく取り上げられたこともある。普段は明るいキャラながら、一度惚れ込んだら一直線。当時はなによりもスケボーに夢中だった。ところが、専門学校在学中にスケボーで足首の靭帯を断裂。それが癖になり、ケガが絶えなくなったのを機に、プロの道を諦めた。

ケネディでは熱心な働きぶりが評価され、アルバイトなのに責任ある仕事を任されるようになった。スケボーが趣味になり、ほかに特にやりたいこともなかった船井さんは専門学校卒業後、ケネディの社員に。3年後に辞めた理由は、マネージャーとのケンカだった。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。