
2011年、自由を得た船井さんは初めての海外旅行に出た。行先はインド。
「なんでインドに行こうと思ったのか、今でもよくわからないんですよ。自分探しだったのかもしれません(笑)」
ガンジス川が流れる町バラナシが気に入り、3週間ほど滞在。ある日、仲良くなった宿のインド人スタッフと一緒に、屋上でぼんやりと過ごしていた。空を見上げると、東京では見たことのないような星空が広がっていた。ふと、これからどうしようかな……と考えた。スッと脳裏に浮かんできたのは、自分でも意外な言葉だった。
「居酒屋で独立しよう」
それからの行動は早かった。帰国した翌月、実家の近くの和食居酒屋に就職する。このお店で、本格的に料理を学んだ。包丁の研ぎ方など道具の手入れに始まり、調味料の意味、お刺身の扱い方、だし巻き卵の作り方など、料理の基本を叩きこまれた。
ただ、あまりに仕事がハードで、肉体的にも精神的にも疲弊してしまい、2年で退職。次に勤めたのが、蒲田エリアで多店舗展開している焼き豚屋さん「豚番長」だ。船井さんは、豚番長の社長が「命の恩人」と語る。
「自分を出していいよって任せてくれたこともあって、精神状態もどんどん回復しました。僕が考えた創作メニューを出せたのも嬉しかったし、立ち飲み屋でお客さんとの距離も近くて、本当にいい時間でした」
社長に恩返しをしたいという思いもあり、船井さんは全力で働いた。あっという間に10年が経っていた。そろそろ独立を、と考え始めた2023年、脳裏に浮かんだのがキューバサンドだった。