未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
298

「鉱山電車」の記録と記憶をたどって 日立の見えない線路を歩く

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.298 |10 February 2026
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#7かつての鉱山のにぎわい―共楽館―

さてここで少し寄り道をすることにした。線路跡すぐそばの、かつて「共楽館」と呼ばれた場所である。ここは日立鉱山の福利厚生施設であった。現在は国の有形登録文化財に指定されている。 1917年に、日立市白銀町に建てられたこの大きな木造建物は、なんと建坪338坪もある。東京の歌舞伎座などを模して、鉱山技師によって作られたという。日立鉱山の麓にあたる、ここ白銀町は鉱山で働く人々の生活の場であった。 共楽館はその人たちのための「鉱山町の劇場」だったのだ。歌舞伎、大相撲、映画、展覧会などさまざまな催し物が行われ、鉱員のみならず日立市民にとっての文化の中心的な場所であったという。今はその役目を終え、日立市に寄贈され日立武道館となって活用されているほか、随時見学もできる。出迎えてくれた「認定NPO法人共楽館を考える集い」の佐藤裕子さんと大畑美智子さん、そして日立武道館職員の椎名光寿さんが詳しく教えてくれた。

  • 当時もここから製錬所の大煙突が見えただろう
  • 格調高い格天井

さて佐藤さんと大畑さんとともに、共楽館すぐそばの二軒の古民家へと移動する。ここでは昔からここ白銀町に住む人たちとともに、茶道家の富岡宗魅(とみおかそうび)さんが出迎えてくれた。

白銀町は鉱山で働く人たちが行き交う商店街だった。鉱山があった本山という地区で生まれ育った田切先生も、やがてこの界隈に引っ越してきたそうだ。しかし今は共楽館とこの二軒の古民家を除き、その名残はほとんどない。

富岡さん(右から二人目)とこの界隈の人たち

富岡さんはある時、二軒の古民家のうち一軒が、取り壊しになると聞いた。かつて「花久パン屋」だったというこの古民家は、「日立では珍しい町屋づくりなんです」と富岡さん。ここがなくなってしまったら、鉱山の歴史を身をもって感じられる場所がなくなってしまう、と感じ、なんとこの家を譲り受けることにした。そこから富岡さんの熱意に共感したこの界隈の人たちもいっしょになって「花久邸再生プロジェクト」が始まった。

呉服屋だった隣の民家も含めて改修作業を行い、茶室を備えた、皆が集える場所づくりを進めているという。そうか、いまここに集まってくれた人たちは、鉱山町の思い出を大切にしているのだな、となんだか胸が温かくなった。その富岡さんが「今日ここにいるみなさんは、鉱山電車に乗っていたんですよ!」と教えてくれた。

「え、みなさん、実際に乗っていたんですか?」と私が驚くと、大畑さんはじめ、みんなは一斉に「はいはい!」「あるある!」と手を挙げてくれた。「父が鉱山電車の施設で働いていたので、そこにお弁当を届けていたのよ」という女性や、「まだ生まれていなかったけれど、お母さんのお腹の中で鉱山電車に乗っていました!」という女性まで。改めて鉱山電車に乗ったことある人たちだけの記念写真も撮影したのであった!

この町で育ち、鉱山電車に乗っていた人たち。(左から二人目:大畑さん)
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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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