白銀町のみなさんに賑やかに見送られながら、線路跡へと戻る。次第に人家が少なくなり、いよいよ山の中の製錬所へと向かう。長い年月を経て、藪に埋もれてしまってはいるが、線路跡は県道36号に沿って伸びているのが確認できる。現在の道路よりもずっと高い位置に線路があったということは、見上げるとよくわかる。


杉本停留所付近は、いったん藪が開けて用地転用されており、線路と停留所があったことがわかる場所だ。周辺の藪を探してみたが、やはりレールなどは全く見あたらない。唯一、古い機械のようなものが転がっていたのを発見する。みんなで「これはいったいなんでしょうね?」と眺めてみると、「空気弁」と書かれている。
空気ブレーキは鉄道ブレーキの一つだが、この古びた「空気弁」がいつの時代のもので、実際の鉄道に関するものかどうかは、分からずじまいだった。
さらに進んで、常磐自動車道の下をくぐる。県道36号を挟んで軌道跡の反対側には「カラミ」とよばれる銅製錬後の黒い鉱滓が、巨大な壁のようにそびえ立っている。明治期に鉱山ができて以来、長い年月を経て積もったカラミは、大正から昭和まで走り続けた鉱山電車の姿を見下ろしてきたことだろう。一方、日立を通る常磐自動車道は鉱山電車が廃線になった後の1985年にできたものだ。産業と輸送の歴史が交差する興味深い場所だな、と思いつつ、ひたすら歩く。


この辺りから、今も僅かに残る線路跡の遺構が、藪の中にチラチラと見えるようになる。道路から見上げて、高い藪の中に目を凝らすと、築堤が見えてくるのだ。


県道沿いの運送会社の一角では、県道からもはっきりと見える築堤があった。さらに歩くと頭上にコンクリート制の橋梁が現れた。今まで歩いてきた中で最も、はっきりと複数の遺構が確認できるエリアだ。ほぼ跡形なく撤去されてしまったまちなかに比べると、山中では完全には撤去しきれなかったのかもしれない。