

まずはいったん反対方向のJR常磐線日立駅の海岸口を出て、エスカルロードという跨線橋を通過。ここには、今は使われなくなったJRの「臨時改札」がある。企業城下町である日立市で働く多くの人々が使っていたものだという。一体いつまで使われていたのであろうか? 私の問いに、正木さんと田切先生が「つい最近までですよ!」と口を揃えて答えた。なんと2025年の11月まで使われていたそうだ。
跨線橋を渡り、日立駅中央口側へと出ると、科学館やプラネタリウムが有名な日立シビックセンターの東側に辿り着く。ここがまさに鉱山電車の起点「助川停留所」であった。鉱山電車が本来は貨物目的の軽便鉄道であったため、人が乗降できる場所は「駅」ではなく「停留所」とされた。
現在の風景からはまったく想像できないが、日立駅前は1980年頃まで、日立鉱山の手前の大雄院製錬所へ運ぶための銅鉱石を取り扱う「助川荷扱所」という広大な場所であった。当時は「日立銅山で採掘された銅を製錬するだけでなく、他所からも銅鉱石を買い付け製錬していたんですよ」と教えてくれたのは田切先生だ。日立駅はつまり、鉱石を街から山の製錬所へと輸送する基点だったのだ。
やがて1960年に鉱山電車が廃止となり、1981年には日立鉱山も閉山。その後、この荷扱所の跡が市の再開発エリアとして転用された。郵便局や文化施設、商業施設が立ち並ぶ街の中心地として整備されたのだという。
現在のシビックセンターの南側の道路は、かつての鉱山電車の軌道にほぼ沿っている。鉱山電車に乗ったつもりでさらに進んでみよう。
日立駅近くの商店街「銀座通り」は、今ではカラオケや居酒屋が連なるところだ。この銀座通りをまさに鉱山電車が走っていたわけである。
さらに進むと、地図上ではっきりと三角形になっている駐車場がでてくる。駐車場としては不自然な形だ。ここは助川荷扱所の外周道路があったところに重なる、と正木さん。鉱山電車の線路と荷扱所がなくなった後、道路や駐車、建物として転用されたことがわかる。