科学館をやろうと決めてからの森さんの行動は早かった。さすがにひとりではできないと思い、まずは山浦さんに声をかけた。「一緒にやらない?」と誘うと、山浦さんは「いいよ」と引き受けてくれたという。
山浦さんは、子どもが幼稚園に通っていたときのママ友。ふたりの子どもがいて、下の子と森さんの末っ子が同級生だ。ともに園の役員をしており、定期的に顔を合わせる仲だった。当時、森さんは役員会議の前に5分ほど時間をもらい、家でできる理科実験をママたちに紹介していた。子どもと一緒に楽しめる知的な遊びは好評だったという。
卒園後もママたちの交流は続き、関心は自分たちの学びへと移っていく。森さんの自宅にみんなで集まり、さまざまなテーマの勉強会が始まった。魚屋を呼んで魚のさばき方を教えてもらったり、歯科衛生士から正しい歯の磨き方を学んだり、文学の先生に『源氏物語』の読み方を解説してもらったこともある。「次は何する?」と声をかけ合いながら、それぞれの得意を持ち寄り、わいわい楽しんだ。
参加者は10人前後、多いときには20人になることもあった。「60回以上やったんじゃないかな」と山浦さん。月に1度のペースで約5年続いた。
山浦さんがチラシを作り、ふたりで配布することがルーティンになっていた。今のようにSNSはなく、次回の案内を手分けしてポスティングした。森さんと山浦さんは、いつの間にか運営を担うコンビになっていた。企画を立て、実現するための関係性はすでにできていた。
しかし、科学館オープンまでの道のりは平坦ではなかった。まずは土地を探さなければならない。森さんがこだわったのは、道路に面していて、人通りがあり、近くに広い場所があること。外に出て実験することも考えていた。あちこち探し回るなか、たまたま売りに出た逗子市の現在の場所に決めた。
次は、設計士に建物を依頼した。どんなものを置き、どう見せるか、ひとつひとつ考えながら準備した。科学館だけでは稼げないと思い、理科教材を扱うショップ機能を備え、お金を生む仕組みをつくろうと考えた。そのため森さんは、薬物の取り扱いに必要な資格を取得した。
一方、山浦さんも本気だった。大学に入り直して学芸員課程を履修し、2年かけて学芸員の資格を取ったのだ。
「学習塾とか実験教室じゃなくて、ここを科学館にしたかったから」と山浦さん。
こうして2008年、2階建て、面積100平方メートル程度の“世界一小さな科学館”「理科ハウス」は開館した。思い立ってからわずか2年後のことだ。ちなみに、“世界一小さな”とうたったのは、インパクトを持たせるため。前例のない施設だからこそ、その小ささをあえて打ち出したそうだ。
「大きな決断だったよね」「子どもの手がかからなくなった時期だったのもよかった」とふたりで振り返る。森さんの末っ子と山浦さんの下の子は、中学生になっていた。