「HAPPY DONUT」創業の1年前、1977年に茂原で生まれた息子の康弘さんにとって、ドーナツは子どもの頃から身近な存在だった。今よりも時代的にも緩かった小学生の頃、お店の人手が足りないときには、ドーナツを作る手伝いもした。それでも、「ドーナツが嫌いだった」という。
「僕は昭和の人間なので、子どもの頃に家がドーナツ屋だって恥ずかしくて周りに言えなかったんですよ。ドーナツって女の子が食べるものだと思っていたんですよね」
地元の茂原にお店があったため、もちろん周りの人たちにも知られていたが、自ら話すことはなかった。思春期になると反抗期も相まって、ますますドーナツからも、父である利明さんからも離れていくことになる。
「本当は、飲食業をやる気もなかったんですけど。『なにもすることがないなら、東京の調理師の専門学校に行け』って言われて。今思えば、まんまと父に乗せられました」
東京でひとり暮らしができることを喜び、素直に専門学校に通った康弘さん。卒業後はお店を手伝ったり、フラフラしたり定まらない期間もあったが、26歳のときに一念発起する。
「正直、ドーナツを作ることにも飽きてしまって。父が元気なうちに、違うことを学びたいなと思って、パン屋に就職しました」
パン屋では、自分より若い社員が活躍している様子を見て、焦りを覚えた。出社の時間よりも2時間早く行き、上司にパン作りを教えてもらった。就業時間後、上司に「帰っていいぞ」と言われてもなるべく会社に残り、掃除や翌日の準備など自分にできることをした。
「今思えば、それができたのは、朝から晩までドーナツを作る父の姿や、周りの大人の姿を小さな頃から見てきたからかもしれないですね」
懸命に働いたことで上司から目をかけられるようになり、新店舗の立ち上げメンバーにも選ばれた。新店舗が軌道に乗ったら、また別の新店舗を開く……というハードな生活だった。
「あの頃は、始発で店に行って終電で帰るような生活だったのでしんどくて。でも、やっぱり上司が可愛がってくれたので、その期待に応えたい一心でした。あの頃の経験があるから、今もいろいろ耐えられるという部分はあると思います」
その頃も利明さんとは疎遠なままだったが、ふたりの間を取り持った人物がいた。