東京でフリー編集者として活躍していた土方さんが、仙台に戻るまでには長い道のりがあった。
バブル景気が終焉を迎える頃、入れ替わりのように、日本では大災害が相次いだ。1993年の雲仙普賢岳の噴火、1994年の奥尻島地震、そして1995年の阪神・淡路大震災。雲仙普賢岳の災害取材をきっかけに、土方さんは各地の災害現場に何度も足を運ぶようになる。
「それまで災害取材をしたことはなかった。 人の不幸に乗り込んでいくようなことでもあるし、どうすればいいんだろう……と思いながら、現地に通って取材を続けていた」
被災地・神戸に通っていた1998年、土方さんに新しい出会いがあった。民俗学者・赤坂憲雄さんが提唱した「東北学」である。「日本はひとつではなく、地域ごとに歴史や文化がある。それを知ることで、日本全体の理解につながる」というのが地域学の考え方だ。赤坂さんは「東北学」の研究拠点として、山形の東北芸術工科大学に研究所を設立していた。
もともと学生時代に史学科で東北の歴史を学び、「即身仏」など東北の文化と歴史に関する本も多く手がけてきた土方さんは赤坂さんと出会って、一緒に取材で各地を回るようになった。「出版を柱の一つにしたいから手伝ってほしい」と土方さんに声をかけたのだった。
そして『東北学』という雑誌が立ち上がった。土方さんはその編集を担当することになり、2000年に仙台に戻って編集プロダクションを構えた。後の出版社「荒蝦夷」の誕生である。仙台に戻る背景には、続く災害取材に「しんどさ」を抱えていたこと、またバブル崩壊後の東京の出版業界が不振に陥り、東京でフリーランスとして活動していくことに一抹の不安を抱えていたこともあったという。
東北学はやがて、東北6県でそれぞれ『津軽学』『会津学』『盛岡学』というように分化され各地の地方出版社が担当するようになり、『仙台学』は荒蝦夷が刊行するようになった。仙台に戻り、『東北学』そして『仙台学』という、腰を据えて取り組めるテーマを見つけた土方さん。
しかし災害大国の日本の地震は続いていく。
「まず2008年に岩手・宮城内陸地震があって、ありゃりゃ! と思って。そしたら今度東日本大震災がやってきて……。災害取材はもういいや、と思って仙台にきたのだけれど、なんたる巡り合わせか、今度は自分が被災者になるという」
予期できない、それが人生である。