東日本大震災では、仙台にある自宅マンションが全壊し、即日立ち入り禁止となった。社員やアルバイト、家族とともに三日ほど事務所で雑魚寝をしながら過ごした。余震は続き、食料もガソリンもない。東京へ向かう道は原発事故で閉ざされ、北へ向かう高速道路も寸断されていた。
震災から三日目のこと、『東北学』のパートナー、赤坂さんが山形への避難の手筈を整え、東京から車と物資を手配してくれた。学生時代に荒蝦夷でアルバイトをしていた都内在住のフリーライター山川徹さんが、それを新潟経由で仙台まで運ぶ。ガソリンも知り合いが分けてくれて、なんとか山形に入った。その夜、先が見えない状況にただ呆然とした。「もう会社を畳むしかない」とまで思った。
だが、山形に避難して、出迎えてくれた人々の支えが、土方さんの気持ちを変えていった。まず山形在住の怪談作家である黒木あるじさんから、連絡があった。
「土方さん、戸田書店に行ってください!」
わけもわからずに山形市内の取引先であった戸田書店にいってみると、そこには大きく「がんばれ、荒蝦夷!」という言葉が掲げられていた。さらに店でパソコンを借りて初めてネットを開いたとき、全国から「大丈夫か?」「頑張れ!」というメッセージが溢れていた。
それを見た瞬間、土方さんは「ああ、これは会社をやめられないな、と思った」と腹をくくったのであった。
それから山形で古い一軒家を借り、仙台から少しずつ荷物を運び出して出版社としての営業を再開していく。