門をくぐり、奥へ進むと目当ての「戸隠流忍法資料館」があった。 ここには初見氏が寄贈した忍具約500点と、本物の忍者の動きを撮影した写真パネル約200点が飾られる。
忍者とは一体どんな存在だったのか。館長の山本幸彦さんに聞いてみた。
「昔はあちこちで合戦がありました。力のある領主たちは、忍者を給料で雇っていたんです。合戦では敵の弱点を知ることが勝敗を分けました。そのため、町で変装して情報を探る人、夜に忍び込む人など、役割ごとに忍者を使い分けたんですね。とはいえ合戦が常にあるわけではないので、普段は農業や林業、商人など、さまざまな仕事をして生活していたようです」
忍術に使う武器が農具や日用品に転用できるのも、その生活背景があったからだ。
資料館には、当時使われていた本物の忍具や写真がずらりと並ぶ。ここで私にも「忍者は本当にいたんだな」という実感が湧いてきた。
やはり忍者といえば、「手裏剣」や「鎖鎌(くさりがま)」を思い浮かべる人も多いだろう。
戸隠流独自の手裏剣に「センバン」がある。敵に向かって投げるだけでなく、とがった部分を使ってものを削ったり、中央の穴を利用して釘を抜いたりしたと考えられている。
農作業に使う鎌に鎖と分銅をつけた「鎖鎌」は忍具として有名だが、戸隠流独自のものに「キョケツショウゲ(距趹渉毛)」がある。変わった名前だが「山谷を駆け巡る」という意味があるらしい。
特徴は、鎌の刃のように曲がった部分に加え、直線的な刃がついているところだ。その部分で敵の刀を受け止めたり、分銅で相手を打ったりしたという。
忍者になれるのは、特別な素質を持つ者だけだった。運動神経に長けていて、情報収集が得意な者が「忍びに向いている」と見込まれる。頼まれると、断ることはできなかったという。普段は農民として暮らしている人が大半で、家族にも内緒で忍びの役目を担ったそう。
「戸隠流忍術は、気づかれずに安全に情報を持ち帰ることが目的です。万一見つかっても、逃げ延びて生きて帰ることが最優先。そのために、さまざまな忍具が日常的な道具から考えだされたんです」