幼少期から武術に強い興味があったものの、親に習うことを許されなかったというポールさん。
大学生になるとすぐに空手や柔道を始め、黒帯を取得するまでに上達した。しかし、どこかで「相手が本気で自分に危害を加えようとしたら、この方法で身を守れるのだろうか」という思いが残ったという。
さらに合気道にも取り組み、その動きに感銘を受けたが、稽古を重ねるうちに、また疑問が湧いてきた。
「格闘技の試合では、速くて強い人が勝つ。自分より大きい人には勝てない世界。もしそんな相手に本気で攻撃されたら、作戦を立てて騙すとか、後ろから攻撃するとかそういうことを実際にはするだろう。でも、それを武道は教えてくれなかった。だから実戦で役立つ武道を探していたんですね」
その思いを決定的にしたのは、空手の黒帯を取った後に起きたある事件だった。夜の公園で、30人ほどのギャングたちに襲われたのだ。ポールさんは平然を装って一瞬の隙を作り、襲いかかってきた数人を投げ飛ばし、命からがら逃げることはできた。しかしその経験が「武道だけでは本気の攻撃に対応するには足りない」と痛感させた。
半ば失望しかけたとき、日本で忍術を学んで師範になった人の稽古に誘われ、見学に行った。そこで教えられていたのは「相手が強いときは隠れる、弱いときは打って出る」といった、生き延びるための当たり前の考え方だった。
「探していたのはこれだ! この忍術があれば命を守ることができる」そう直感したポールさんは、その師範の師である初見氏から、直接教えを受けたいと思った。
当時、財務監査の仕事をしていたポールさんは会社を辞め、日本へ渡り、英会話講師をしながら初見氏の下で忍術を学び始めた。
「最初は5年間だけのつもりだったけど、もっと知りたい、あと少し学びたい……と思っているうちに、気がついたら31年経っていましたね」
興味深いのは、その後の生計の立て方だ。
最初の4年は英会話講師を務めたが、やがて大道芸に転じた。きっかけは、稽古中に初見氏から「武器を自在に扱うにはジャグリングを学びなさい」「隠し武器を扱うには手品を学びなさい」と勧められたことだった。友人のマジシャンに手品を習い始め、ジャグリングを身につけたころ、偶然に道端で下手な大道芸人が大金を稼ぐ姿を見かけた。「これなら自分の方が上手くできる」と感じ、大道芸の道へ飛び込んだ。
3メートルの一輪車に乗ってチェーンソーを操ったり、火を投げるといった危険な芸で観客を楽しませ、英会話講師以上の収入を得ることができた。大道芸は休日だけ行い、普段は修行に専念する生活。一昨年、大道芸を引退するまで、そうして忍術と共に歩み続けた。
「大道芸に出会ったのは運命だったと思う。昔の忍者のなかにも素性を隠して芸をしていた人がいたし、先生からも"忍術も大道芸も同じ道だ"と言われましたね」
初見氏についてポールさんは、こう語る。
「忍術を悪いことには決して使わなかった。いつも人のために使い、教える相手がより良くなるよう導いていた。平和をなにより大切にしていましたね」