1992年生まれの徳永さんは幼い頃に両親が離婚し、母と姉の3人、長野市街地で暮らしてきた。高校3年生まで野球に打ち込み、引退後にアルバイトを検討していると、離れて暮らしていた父から「農業を手伝うバイトをしないか」と声をかけられ、父の農園を手伝うように。実はそれまで、父の家が農園であることすら知らなかったという。
高校を卒業してから就職した自動車工場が父の農園の近くだったこともあり、就職後もたびたび農園を手伝った。工場の仕事は、初任給が年収400万円ほど。給与は安定していたが、元来好奇心旺盛な性格の徳永さんは、自動車工場の「ロボットのように完璧」な仕事内容に次第に耐えられなくなっていく。父が「農園を継いでほしい」ともちかけたのは、就職して3年ほど経った頃だった。
「もっと自分の頭と体を使う仕事をしたいってずっと思ってたので、チャンスだと思いました。それで、父も通った長野県農業大学校に行くことを決めました。この辺のりんご農家にとっては登竜門みたいな場所で、出身の農家さんが多いんです」
こうして徳永さんは農業大学校の果樹コースへ。ここで、苗木を従来より高密度で植え付け、樹形をコンパクトに保ちながら収穫量の増量と省力化を狙う「高密植栽培」と出会う。
卒業時、独自におこなった研究員への聞き取り調査で、高密植栽培の専門家から「りんごの高密植栽培で5億円を目指せ!」と檄を飛ばされた。
収益性が高い高密植栽培に可能性を感じた徳永さんは、2016年、23歳のときに意気揚々と農園を継承。だが、父から渡された帳簿を見ると、売上は年間300万円にも満たない。完全なる赤字だ。
「こんなことなら工場を辞めなければよかった……!」
工場勤務時代の年収よりも遥かに低い数字を見て、後悔が襲った。けれど、農業大学校に入る時に申請した就農資金の条件は、少なくとも2年は継続すること。徳永さんは「やめるわけにはいかない」と、腹をくくった。
売上を伸ばすためには、りんごの単価を見直すか、収穫量を増やすかのどちらかだ。ただし、当時は主に農協に出荷していたため、単価を独自にコントロールするのは難しい。となると、とにかく収穫量を上げるしかない。
農地の3割に高密植栽培を導入し、たまたまフリーターをしていた中学時代の野球仲間、峰村さんに働き手として声をかけた。峰村さんのパソコンスキルを活かして、当初は諦めていた「単価を上げる」方向にもメスを入れるべく、フリマサイト「メルカリ」で1キロ1000円での直販を試みる。結果は、1週間で100万円の売上につながり、2人は「ネットなら売れる」と確信した。
「収穫量も増えて、単価も上がるなら、もっと大きくしても面白いんじゃないか?」
2017年には農園を法人化し、峰村さんを社員とした。農園名も「徳永農園」から「フルプロ農園」に変更。「フルーツ」の「プロフェッショナル」であり、「プロダクト・プロデュース・プロジェクト」まで担うという意味を込めた。その後、通販サイトでの販売を増やし、周辺の農家もいくつか継承。2019年には、売上額4000万円に達し、農地は4ヘクタールになっていた。
台風19号が猛威を振るったのは、その矢先のことだった。