「これ、絶対水ついとるよ(=浸水しているよ)」
2019年10月13日の未明のこと。一緒に暮らしていた母に促され、農園の近くに住む父に電話をかけた。外は激しい雨だ。目を覚ました父は、「うわ、ダメだ、2階まで濁流がきとる……」と電話口で言った。
農園があるエリアはもともと、徳永さんの曽祖父・初太郎さんの時代には、水害が多い土地だった。しかし、堤防をつくる技術や治水管理が発達し、1911年を最後に水害の記録はなくなった。徳永さんも就農後に大きな被害を経験したことはなかった。
その日、雨が小康状態になったところで、峰村さんと畑へ向かった。途中から道は水で阻まれ、その先では自衛隊がボートで救助活動をしている。畑にはたっぷりと水が溜まり、りんごの木と支柱が何本もなぎ倒されているのが見えた。畑の近くに住む父は2階に取り残され、救助を待つしかなかった。
「こんな不安定な業界では、もうやっていけない……」
それまで積み上げてきたものを、文字通り大量の泥水にかき消されてしまった。峰村さんはその場で泣き崩れ、徳永さんも農家を畳む気持ちを固める。
だがその直後、予想外の動きが起こる。
被害の状況を投稿したSNSを見た人が、災害の翌日から続々とボランティアに訪れたのだ。その数、1日におよそ100人。徳永さんの直接の知り合いはもちろん、友人の友人や、自身も災害を経験した人など、心を寄せてくれた人たちが全国から集まった。以後2カ月以上にわたり、入れ代わり立ち代わり、連日100人近くが復興作業を手伝ってくれたという。
さらに、もともと取引があった産直オンラインサイトの代表から東日本大震災の復興支援財団を紹介され、被災した漁師や農家がどう復興してきたかのレクチャーを受けた。
「災害にあったからこそ、むしろ大きなエネルギーが集まって、大成功している農家さんの事例をいくつも紹介してもらいました」
一度は絶望した徳永さんだが、こうした情報や応援を受け、被害から3日目には農園の再開にむけて気持ちを切り替えたという。
――とここまで話したところで、休日だった峰村さんがカフェに遊びにきたので、お話を伺ってみた。
「(号泣したのは)僕が植え付けをした畑がだめになってしまったのが、本当に悲しかったんですよね。でも、次に会った時にはもう、彼(徳永さん)は前を向いていたので、引っ張ってもらった感じです」(峰村さん)
とはいえ、収穫するはずだった50トンのりんごの被害額はおよそ8000万円。浸水した機械の買い替えや事務所の建て替えなどを入れると、被害総額は1億円を優に超えた。徳永さんはその時の心境をこう話す。
「応援だけだったら、もしかしたらそのままやめる決断をしていたかもしれないんですけど、ビジネス的な側面からもしっかり情報をもらえたことで、『ピンチをチャンスに変えることができるんじゃないか』と思えたんです」