徳永さんが「開店時間まで、農園をお散歩してもらっていいですよ」と言ってくれたので、合流した甥っ子たちも連れて、さっそく農園のなかへ。ゴツゴツとしたりんごの木は、素人目にはどれも同じように見えたけれど、「シナノゴールド」「シナノスイート」などの種類が書かれた紙がクリアファイルに入った状態でぶら下がっていたので、どうやら品種が違うらしい。
子どもたちは慌てんぼうの暑さに文句を言いながらも、解放感に浸っている。8歳の息子と7歳の甥っ子は農園の間を貫く農道でかけっこを始めた。3歳の甥っ子はそれを追いかけたり、リンゴ畑のなかをテテテテテ……と虫を追いかけたり、幸せそうだ。
あとから追いかけてきてくれた徳永さんが、りんごの小さな実を取って子どもたちに渡してくれた。わああ~、小さなちいさなりんごの赤ちゃんだ。これが大きくなっていくんだね。
興味津々に赤ちゃんりんごを覗き込む子どもたちを眺めながら、「実は桃と栗もあるんですよ」と徳永さん。この農園には、15種類のりんごと栗、桃が植わっているという。
ふと見ると、敷地の入り口には「小林農園」の看板がある。ちょっとまてよ、カフェの運営は徳永さんが代表を務める「フルプロ農園」だったはず。なのに一体なぜ「小林農園」の看板が?
「ここは昔も今も、小林農園なんですよ。もともと破格の値段設定でりんご狩りをやっていたこともあって、毎年1000人以上が来客するような人気の農園だったんです。ただ、小林さんがご高齢になって、2024年に私たちが運営を引き継いだんです」
疑問を投げかけると、徳永さんはそう説明してくれた。表にいた猫も、小林農園でかわいがられてきた「うめ」だと判明。
そもそも、徳永さんが代表をつとめる「フルプロ農園」は、120年ほど前からつづく「徳永農園」というりんご園だった。創業したのは徳永さんの曽祖父で、旧赤沼村の村長を務めた初太郎さんだ。
近くを流れる千曲川の氾濫で、養蚕用の桑の木がたびたび水害を受けていた状況を打開しようと、水害に強いとされるりんごの栽培に着手したのが、初太郎さんだった。いわば徳永さんの曽祖父は、この地域の主力農産物であるりんご栽培の“生みの親”といっても過言ではない。
その後、農園は祖父へと引き継がれたものの、第二次世界大戦後の農地改革で、農園面積は縮小。さらに父が継承してまもない1997年には、長野新幹線の車両基地のために土地を国に引き渡し、徳永さんが継いだ2016年には、1ヘクタールになっていた。「創業時にどれくらいの土地があったかはわからない」という。
深刻な担い手不足の背景もあり、23歳の徳永さんが農園を継ぐと、たちまち噂が広がり、高齢化した周辺の農園主から次々に継承の依頼が届いた。小林農園もそのひとつで、2024年に運営を引き継いだのだ。
「農園でごはんを食べるのは原体験なので」とピクニックのアイディアの源泉も説明してくれた。ただ、最初はてっきり子どもの頃の思い出なのだと思ったのだが、実はそうではないらしい。では、徳永さんの「原体験」とはいったいなんなのだろう。