
初めて一の湯を目にしてから1年後の2022年4月、山本さんは49歳のときに25年間勤めたバイク店をやめ、晴れて桐生に移住する。埼玉の両親には事後報告で、子どもたちは「まあ、いいんじゃん」。
しかし、この時点で貯金はゼロ。いくらか退職金はもらえたものの、もちろん一の湯が復活できるかどうかもわからない。それでも「高校卒業してからずっと子育てと仕事をしてきたし、しばらくはなにもやらなくていいか」とのんびり構えていた山本さんだが、川口さんからの紹介で、すぐに近所のカフェでアルバイトが決まった。
さらに、「6月から5カ月限定でポップアップミュージアムをやるから、そこのチーフをやらないか」と別の知り合いから推薦される。一の湯の復活をするためのつなぎで仕事をしたかった山本さんにとってはうってつけだ。
「桐生って、人と人をつなげる文化があるんだよね。どっかに行くとすぐに『ねえねえ、この人埼玉から来て、今度一の湯やるって言ってるまおちゃん。よろしくね!』て全員に紹介してくれるわけ。そうするとみんな一の湯に興味があるから、どんどんつながっていって。どこで誰が紹介してくれたかもわからなくなっちゃうくらい」
そう言って、山本さんは勢いよく笑った。繊維産業で栄えた桐生は昔から人の往来が盛んで、人と交流して楽しむ文化が染み付いているらしい。
6月から期間限定で働いたポップアップミュージアムは、日本の伝統技術や職人の神業をテーマにしたもの。このため、織物や紙漉きなど、伝統技術を守ってきた桐生の“重鎮たち”と知り合うことができた。山本さんは、彼らから古い時代の一の湯のことを教えてもらい、いかに一の湯が愛されてきたかを知る。
ミュージアムの仕事を通じて充実した毎日を送っていた山本さんに、あるとき、LINEでこんなメッセージが届いた。
「真央さんさあ、なにしに桐生にきたの? 一の湯やりに来たんでしょ? そんなにガッツリ働いてて大丈夫なの?」
メッセージの送り主は、1年早く渋谷から桐生に移住していたIT企業の社長、今氏一路さんだ。一度だけプラスアンカーで川口さんから紹介してもらっていたものの、積極的に交流はしていなかったし、「一の湯復活プロジェクト」のLINEグループに入っていたわけでもない。
けれどもメッセージを読んだ山本さんは、「確かにそうなんだよな」と素直に納得し、今氏さんと会うことにした。話をしてみると、今氏さんも一の湯に惚れ込み、なんとか銭湯として復活させたいという熱意を持った人だった。
その場で「とりあえずインスタグラムを立ち上げて、ゆくゆくはYouTubeで復活のプロセスを配信しよう」と話し合い、ふたりは仕事の合間をぬって一の湯に通ってはインスタグラムに投稿し始めた。
さらに、ゆがんで開かなくなっていた薪窯をこじ開けて設備を点検したり、水道の配管を手探りで確認したり、建物の改修ポイントを検討したりと、復活のために必要なことを地道にリストアップ。10月には大家さんと賃貸契約を結び、YouTubeの配信も始めた。
「毎週映像を撮って、今氏が編集して。そうするとやっぱり、『次なに撮る?』ってなるので、撮るために動く、みたいな流れができて、どんどん動いていきました」