まず、糸魚川におけるヒスイの歴史を振り返ろう。糸魚川でヒスイが使われるようになったのは約6500年前の縄文時代前期で、「世界最古級のヒスイ文化」と言われている。
糸魚川の縄文人は当初、重くて硬い性質を持つヒスイを、石器を作るためのハンマーとして使っていた。それが5500年前から大珠(たいしゅ)というペンダントのようなものが製作され、宝石として扱われるようになる。


最初の謎は、ヒスイの色。ヒスイといえば緑という印象がないだろうか? 実は純粋なヒスイの色は白で、成分の違いによって緑、紫、青、オレンジ、黒などにわかれる。
フォッサマグナミュージアムには多彩な色のヒスイが展示されていて、こんなにカラフルだったの!? と驚いた。それなのに、縄文時代から弥生時代まで大珠、勾玉などの宝石として使われるのは緑色だけなのだ。
「きっと緑じゃなきゃいけない理由があったんですよね。現代人の推測なんですけど、緑は芽吹きの色じゃないですか。そこから転じて、生命や魂を連想させる色として緑にこだわったのではないかと言われています」
なるほど! 縄文や弥生の時代、現代の感覚よりもはるかに冬の寒さは厳しく、乗り越えるのに苦労しただろう。それだけに、新緑の春を待ち焦がれていたのかもしれない。
ふたつ目は「加工」。石器を作るためのハンマーに使うほど硬いヒスイなのに、縄文時代の大珠、弥生時代以降の勾玉などは形が整い、小さな穴が開いている。ドリルのない時代にどうやって? と誰もが疑問に思うだろう。
穴に関しては、石英の砂を研磨剤にして竹の管を回転させて開けていたとされる。形を整えるのは、ひたすら砥石で削ったようだ。もちろんどちらも手作業で、途方もない時間がかかるその加工に最も必要だったのは、「気合いでしょうね(笑)」と小河原さん。
「最近、ヒスイを火にかけてから加工したのでは、という新説も出てきました。確かに遺跡から出てくるヒスイのなかには、煤がついているものもあるんですよ。昔はたまたまだと言われていたんですが、実はヒスイを焼くと柔らかくなるんですよね。その性質を利用したのではないかと言われています」
僕が縄文時代の職人なら、作業の負担が軽くするために少しでも柔らかいほうがいい(笑)。ヒスイを火にかけていた説に一票!