
話を戻そう。法要は、まさに目の前で動き出していた。
ほら貝が鳴り響く。副住職を先頭にした僧が列をなし、錫杖(しゃくじょう)を振りながら、滝に向かっていく。
私はその迫力に圧倒されていた。地元の新聞記者に紛れ、必死に写真を撮る。茶をすすって眺めていようなどと思っていた自分の愚かさを戒めたくなった。


滝壺では、塩が撒かれ、酒やきゅうり、大根、昆布といった供物が滝に向かって放り込まれる。僧侶たちの読経が滝音と重なる。
「のうまくさんまんだ、ばあざらだんかん。のうまくさんまんだ――」
不動明王の印を結びご真言を唱えながら、参加者は次々と滝に身を委ねていた。水しぶきを浴びながら私は、なぜ自分も参加しなかったのだろう、とだんだん思えてきた。
参加者たちは、こぞって「軽くなったー」「すっきりしたー」などと言っている。
滝行が行われた後は、柴燈護摩法要が行われ、参拝者が願い事を書いた護摩木が炎の中へ投げこまれていく。火の登り方が龍に見えると、その年は良い年になると言われているそうで、私は必死にその行方を見守った。


どうでしょう。龍に見えませんか?
締めくくりには、国史跡・石動山に伝わる郷土芸能「天平太鼓」が奉納された。かつて雨乞いの儀式として打たれていたもので、この日は6人の奏者が力いっぱい打ち鳴らす。そのなかには、先ほどの福多さんと高柳さんの姿もあった。腹に響く音というのは、耳よりも先に、内臓のどこかに直接届くものらしい。