
大通公園の再整備が始まったのは、1950年(昭和30年)。同年、美術教師の指導のもと地元の中高生が6つの雪像を設置し、合わせて犬ぞりレースやスクエアダンス、雪合戦などが行われ、5万人を集めた。これがさっぽろ雪まつりの起源となる(国土交通省 地域観光資源の多言語解説文データベース/「さっぽろ雪まつり - 雪まつりの歴史」より)。
「歴史の散歩道 第1章風物詩編」によると、再び市民が大通公園に集うようになった1950年以降、公園内ではとうきびをはじめ、多様な屋台が自由に商売をしていたらしい。しかし、札幌オリンピックの開催が決定した1966年、札幌市は屋台を全面撤去する。国際的な注目が集まるなか、衛生上の問題や景観を気にしたのかもしれない。
ところが、屋台文化を惜しむ声があがり、札幌市が運営を委託した札幌観光協会(現一般社団法人札幌観光協会)のもとで、翌年、屋台が復活。知られざるその舞台裏を教えてくれたのは、札幌でイベント企画、運営、飲食販売を手掛ける山賀畜産の山賀健一さんだ。
「観光協会は、屋台を再開する際、屋台主に一代限りの権利を与えました。ここで商売をするのはいいけど、誰かに後を継がせることはできないということです。もうひとつの条件は、販売していいのはとうきびだけ。その結果、当時の大通公園には100台以上のとうきび屋台があったそうです」
札幌観光協会はもうひとつ、意外な手を打った。なんと、屋台を「カラフルなボックスワゴン」に統一し、販売する人には紺色の制服着用を義務付けた(「歴史の散歩道 第1章風物詩編」参照)。1967年の一大改革によって、「とうきびワゴン」が誕生したのだ。当時、焼きが40円、茹でが35円だったという。
距離約1.5キロの大通公園に100台を超えるカラフルなワゴンが並び、紺色の制服を着た人がとうきびだけを販売……。その光景は、全面撤去前と比べると別世界のように見えたのではないだろうか?