未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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販売本数1日最大3000本!?なぜそんなに人気なの? 札幌名物「とうきびワゴン」の謎に迫る!

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.285 |25 July 2025
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#3大通公園を別世界にした1967年の改革

大通公園の再整備が始まったのは、1950年(昭和30年)。同年、美術教師の指導のもと地元の中高生が6つの雪像を設置し、合わせて犬ぞりレースやスクエアダンス、雪合戦などが行われ、5万人を集めた。これがさっぽろ雪まつりの起源となる(国土交通省 地域観光資源の多言語解説文データベース/「さっぽろ雪まつり - 雪まつりの歴史」より)。

「歴史の散歩道 第1章風物詩編」によると、再び市民が大通公園に集うようになった1950年以降、公園内ではとうきびをはじめ、多様な屋台が自由に商売をしていたらしい。しかし、札幌オリンピックの開催が決定した1966年、札幌市は屋台を全面撤去する。国際的な注目が集まるなか、衛生上の問題や景観を気にしたのかもしれない。

とうきびワゴンの歴史について話してくれた山賀畜産の山賀健一さん

ところが、屋台文化を惜しむ声があがり、札幌市が運営を委託した札幌観光協会(現一般社団法人札幌観光協会)のもとで、翌年、屋台が復活。知られざるその舞台裏を教えてくれたのは、札幌でイベント企画、運営、飲食販売を手掛ける山賀畜産の山賀健一さんだ。

「観光協会は、屋台を再開する際、屋台主に一代限りの権利を与えました。ここで商売をするのはいいけど、誰かに後を継がせることはできないということです。もうひとつの条件は、販売していいのはとうきびだけ。その結果、当時の大通公園には100台以上のとうきび屋台があったそうです」

札幌観光協会はもうひとつ、意外な手を打った。なんと、屋台を「カラフルなボックスワゴン」に統一し、販売する人には紺色の制服着用を義務付けた(「歴史の散歩道 第1章風物詩編」参照)。1967年の一大改革によって、「とうきびワゴン」が誕生したのだ。当時、焼きが40円、茹でが35円だったという。

距離約1.5キロの大通公園に100台を超えるカラフルなワゴンが並び、紺色の制服を着た人がとうきびだけを販売……。その光景は、全面撤去前と比べると別世界のように見えたのではないだろうか?

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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