未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
287

町をつつむ物語 謎多き人形作家・山岡草が最後に暮らした里を歩く

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子(表記があるもの以外すべて)
未知の細道 No.287 |25 August 2025
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#6山岡の最期

銀座のミキモトでの個展会場のスナップと思われる写真。撮影者不詳。(提供:大子町)

大子で16年の時を過ごした山岡草。その晩年はどのようなものだったのだろうか。晩年の大きな仕事として2回、銀座の高級宝飾店「ミキモト」で展示をしたことがわかっている。漫画家・水木しげるが驚いたのも、このミキモトでの展示だ。ミキモト側が、山岡の作品に対して深い理解があり、山岡さんの好きなように展示していい、と言ってくれたことが、山岡が東京で展示する気持ちの後押しになったようだ。 自分もミキモトまで展示を見に行った、とその人は語る。

山岡はおそらく癌だったのではなかったのだろうか、とその人は振り返る。月に一度、水戸の病院に通っていたそうで、水戸から戻ってきては「地獄に行ってきたんやで〜」と、言っていたそうだ。そうして山岡は65歳で、自らの意思で誰に伝えることもせずに病院で亡くなった。

「山岡さんは作品を世に出して売り出したいわけではなかった。ただただ『命がけやでえ〜』と言って作っていた人形を「我が子」として、大切に大切にしてきたのだと思う」とその人はいう。「山岡さんは、本当に清らかで、岩から湧き出る石清水のような人だった。山岡さんの作品を大切に守り、資料を元に本人が喜ぶような展示発表ができたら嬉しいですね。そして作品のすばらしさを多くの人に知っていただけたらと思います」と重ねた。

その人の家には、かなりの古木にはなっているが、今もまだ「山岡さんと植えた」というシモツケソウが咲いているそうだ。

シモツケソウとともに(撮影:山岡草)
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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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