
変わり者の芸術家。優しくて楽しい人。そして石清水のように清冽な人。どれも山岡の本当の姿なのだろう。 私はさらに、実際に山岡の作品の管理や公開を担っている町役場の担当課で、大子町中央公民館のなかにある教育委員会を訪ねてみることにした。以前、田那辺さんが所属していた部署である。中央公民館は、美術館ができるまでの山岡の作品を保管していた、いわば、山岡作品と大子町の始まりの場所でもある。
大金真理子さんは生涯学習担当として、美術館の定期的な展示のほか、2年前から山岡の20冊の手記すべての文字起こしに取り組んでいるという。そう、大金さんも山岡草の作品に惹かれたうちのひとりだ。
「直接会ったことはなくても、手記から山岡先生の作品を読み解けるのではないでしょうか。手記を調べれば調べるほど、新たなことが発見されていく面白さがあります」と語る。
手記だけではない。わらべを撮った、膨大なリバーサルフィルム。さらには展示風景などを記録したネガカラープリントが大量に残っていて、大金さんはそれをすべてデータ化してきた。特にプリントには人形だけでなく、庭先に留まる鳥や、花々、川などの自然も多く写っているのが印象的だ。
大金さんは、実は役場で働く前は、写真店で働いていたと言う。そこで培ったデータ整理、アーカイブ管理といった特技を活かして、大切な資料を残していきたいと語った。「できればずっとこの仕事を続けていきたい」という大金さんは、OBの荒井さんたちが昨年立ち上げた「和紙人形研究会」にも加わり、ともに調査研究を続けている。
この町に「アーキビスト」(永久保存価値のある情報を査定、収集、整理、保存、管理し、閲覧できるよう整える専門職を指す)が自然発生しているということだろう。今は亡き山岡の作品が、こうして今を生きる人のやりがいや目標を作っているのだとしたら……それはとても面白いことではないだろうか。
「山岡先生の手記を読んでいると、山奥での暮らしは、決して寂しくなかったのではないかと思うんです」と大金さんは続けた。「子どもである人形がいて、森の鳥や虫たちが友達で訪ねてきてくれる。そう、家族と友達と遊んでいたんじゃないのかな、と思わせられるんですよね」と結んだ。