
中央公民館を後にし、私は町役場へと向かった。私に山岡の作品を最初に見せてくれたもうひとり、そう、赤津康明副町長のところだ。トルーマン・カポーティなどの現代アメリカ文学や現代アートにも造詣が深い赤津副町長。私は以前に副町長と一緒にアートプロジェクトで審査員の仕事をしたことがあった。その縁もあって赤津副町長は「松本さんに作品集を見せてみたらいいんじゃないか」と最初に言ったのだ、と田那辺さんが後で教えてくれた。 ちなみに「うちの副町長は、東大で文学を専攻していて、すごいんですよ!」とこっそり教えてくれたのも田那辺さんだ。
「私はね、個人的にアートが重要だと思っているんですよ。人間のマインドを高めてくれる」と赤津副町長は切り出した。「山岡の人形の第一印象は、大子の自然にフィットする。芸術は美術館のなかだけでなく、本来は自然の中にあるもの、と感じさせてくれる」
現在66歳の赤津副町長は、長い公務員人生で、行政がアートに関わるセクションで働いたことも何回かあった、と言う。そのなかには、日本で最初の大型アートプロジェクトともいわれるものあったという。そのような芸術作品は「地域の自然や地域資源と結びついて、自然と渾然一体となり、化学反応的に起こる美の作用なんですよ。山岡にとっても、大子の自然はきっと宿命的なものだったのでしょうね」と続けた。
そして「人生は短く、芸術は長いというけれど、作家がいなくなった後もそういう芸術をこの地でどう活かせるのか、ということを私たちは考えていかなければならない。多くの人々の目に深く広く届くよう、仕掛けをできないかと思っている。アートは地域の重要なコンテンツであり、山岡草のようなスペシャルな作品を町の振興の核としていきたいですから」と語る。
さらに「山岡草は大子の森の空気感や風景に着目したのだと思う。大子がそのメガネにかなった精髄の地なのだとしたら、それをどう、わかりやすくアピールしていくのかも大事ですよね。できれば、あえて時間をかけて、この大子まできてもらって、総合的に作品と町を味わってもらいたい」と語ってくれた。
「アートは想像力であり、物語ですよね。大子の風景を懐かしいと感じた山岡草と同じように、実際に現代の大子を旅した人たちから、大子に懐かしさを覚えたし、旅を終えてみて、すでに大子を懐かしく思う、なんていう言う声を聞きます。つまり大子の魅力とは、人々がこのような思いを共通して持つことに、あるのではないかな」と続けた。
山岡草の研究会が発足したことについても、作家の本質にアプローチする組織ができたのはいいことだと語る。「いろんな角度から山岡草の研究が進むといいですよね。さまざまな資料をひもとくことで、当時の人たちのアートの見方も発見できるかも知れない。ひとりのアーティストの研究だけでなく、実はそれが大子全体の文化研究につながっていくかもしれないし」。