誰が主導したのか、なにが起きたのか、いまだに謎に包まれ、研究が続いているこの「ヒスイ封印」の効果は凄まじかった。ヒスイの存在が徹底的に封じられた結果、いつしか「かつて日本でヒスイが産出された」という事実さえも忘れ去られてしまったのだ。
20世紀に入ってからもそれは変わらず、考古学や地質学でも「日本の遺跡から出土するヒスイは海外から持ち込まれたもの」という考えが定石になっていた。
それを覆したのが、なんと糸魚川市出身の詩人! 童謡『春よ来い』や早稲田大学の校歌『都の西北』などを作詞した相馬御風さんだ。歴史や文学にも通じていた相馬さんは、ヒスイにまつわる奴奈川姫の伝説や万葉集に収録された「沼名川の底なる玉求めて得し玉かも拾ひて得し玉かもあたらしき君が老ゆらく惜しも」という歌を知り、「もしかして、糸魚川ってヒスイの産地なのでは?」と考えた。
この閃きがきっかけとなり、1939年、糸魚川市内の小滝川で地元の人によってヒスイの存在が確認された。
「それまで考古学者や地質学者は奴奈川姫の伝説や万葉集と絡めて糸魚川にヒスイがあるなんてほとんど考えもしなかったと思うので、相馬さんの功績は本当に大きいですね」
フォッサマグナミュージアムには、重さ数トンの巨大なヒスイの岩石やその価値「家一軒分」という鮮やかな緑色のヒスイなど、糸魚川市内で見つかったヒスイが多数展示されている。業界の常識に染まっていない相馬さんの発想が、ヒスイにまつわる日本の歴史の再発見をもたらしたのだ。