
2011年、夏のこと。ふたりが長年勤めていた大手 CDショップもまた、インターネット配信の普及の波に抗えず、その幕を閉じようとしていた。各地の店舗がどんどん閉店するなか、最後に残ったのが、由紀子さんが働いていた大宮の店舗だった。
その年の3月に発生した東日本大震災は、CD不況にさらに拍車をかけた。橋本さんの地元の仙台は甚大な被害を受け、家族とも10日間も連絡が取れなかったという。仙台にある店舗もしばらく閉店となった。
当時、本部で仙台店を統括していた橋本さんは同僚たちが心配でならなかった。しばらくぶりで再オープンできることになると、すぐに仙台まで応援に行った。「当時はまだ新幹線が通っていなくて、鈍行で行ったんだよ、7時間かけて」と、橋本さん。その電車の中で、大変な思いをしているだろう現地のスタッフたちになんて声をかければいいのだろう、と思い悩んでいたという。
「でも、実際行ったら想像とぜんぜん違って。『いや、もうやってやりますよ! 絶対にこの店を開けます』って、スタッフたちはいうんです。それに誰がこんな時に CD 買いに来るのか? と思っていたんだけど、それも予想に反して、めちゃくちゃ人が来たんです。まるで新店オープンのように。 え? いったいなにを買いに来たの? と、びっくりしてお客さんに声かけちゃったの。 どうして CD を買いに来たんですか? って」
答えは、みな同じだった。
『普通の生活に戻りたい』『音楽を聴きたい』
「その時に初めて、あ、音楽ってこんなにも力があるものなんだ、と思いました。それにたった今気づいた、そんな感じでしたね」
橋本さんと由紀子さんはCDが売れなくなっていくにつれ、売れ筋の在庫を抱え、ニーズに応える従来型の販売だけではCDショップを継続していくのは難しいと感じていた。地震をきっかけに仙台に戻って別の仕事についた方がいいのではないか、とも考えていた。しかし仙台店での経験で、橋本さんは「やっぱりCDショップで、規模は小さくても提案した音楽をちゃんと売っていくことを続けた方がいい」ということを再確認したのだった。
由紀子さんもこう語る。
「私は震災の時、埼玉の店舗の店長をやっていて、そのあと会社が傾き出しました。あの時の不安はすごく大きかった。でもこの仕事を始めてから、 店長としても二店舗経験して、商品部のサポートもやったし。すごくやりがいがあったのに、なんか、こう定まらずで……」
この悔しい状況を脱したい、という思いもあったし、なによりふたりともこのままCD文化を消すわけにはいかない、という気概があった。こうしてmore recordsの開店準備は、ふたりが働いていた CDショップで残された最後の店、大宮店の閉店準備と同時並行で進められた。
東京に店舗を構えることも検討したが、都心では埋没してしまうのではないかという不安が拭えなかった。一方、大宮はなぜかインディーズ作品を求める音楽好きの客が多く、そうしたCDが「どかんと大きく売れる」こともよくあり、それがここに店を構える判断材料のひとつだったと言う。
「多分、大宮にそういうのを求めて来る人が多いのかな、と思っていました」と橋本さん。
やりがいのある仕事場で出会って結婚したふたりが、新しいCDショップをゆかりのない大宮の地に選んだのはこういうわけだったのである。新店舗は大宮駅からも歩いてすぐ行ける「その頃はまだそれほど家賃が高くなかった。今だったら高くて借りられないだろうな!」とふたりが笑う現在の場所に決めた。こうしてmore recordsは2011年9月9日に大宮で生まれた。