未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
315

100年続く盆栽の聖地 静かなる盆栽村を歩く

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.315 |13 October 2026
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#2盆栽の歴史と美術館の成り立ち

学芸員の田口文哉さん

まずは学芸員の田口文哉さんに盆栽と盆栽村の歴史を案内してもらった。

「『盆栽』という言葉は、実は明治時代に一般化した呼び名なんです。江戸時代には鉢植えと呼ばれていました」と田口さん。

江戸時代の後期、大名屋敷の庭園管理を担った植木屋から鉢植えを専門とする業者が生まれ、この鉢植えを小さな「自然」に見立て、育て愛でる文化が江戸の街で育まれた。それがさらに明治時代の政治家たちにとって趣味・教養のひとつとなり、「盆栽」という漢語調の言葉で定着したのだそう。

明治時代から大正時代にかけて、東京には盆栽園がたくさんあったが、1923年の関東大震災で状況は一変。営業が困難になった多くの盆栽園が、埼玉の大宮に移転した。震災前から東京が手狭になっていて、郊外に広い土地を求めていたことも後押しした。これが「盆栽村」の始まりだ。

当時は、盆栽業者たちが土地を切り拓き、道路を整備して作った自治的な村だったという。この地が移転先に選ばれた背景には「地下水や、盆栽に欠かせない赤玉土の原料となる赤土が豊富であるなど、自然環境が良かったこと、さらに明治期にすでに都内からの行楽地として有名だった大宮公園を訪れる観光客を見込めたことがあげられます」と田口さんは教えてくれた。

以来、日本屈指の盆栽郷として歴史を重ねてきた大宮。昨年、開村100年を迎えた盆栽の聖地にある、世界初の公立の盆栽の美術館に収蔵されているのは、もちろん生きている盆栽だ。 さらに盆栽以外にも盆栽の鉢や水石(自然の石を室内に置き、山や川などの美しい自然の景色を見立てて鑑賞する日本の伝統文化)など盆栽にまつわるさまざまな道具、盆栽が描かれた浮世絵などの絵画、書籍などを収集し、別棟で展示する。それらは歴史のなかでの盆栽の姿、樹種、鉢、愛好者や鑑賞の場を知る重要な資料となるからだ。

「当館は、盆栽の美術的鑑賞に加え、歴史・文化史の視点から盆栽を体系的に研究することを目的のひとつとしています」と田口さん。

美術館の展示を企画する田口さんたち学芸員のチームは4人。田口さんは日本美術史、ほかの学芸員たちも近世史などが専門だ。チームとしてそれぞれの分野から盆栽の美学と歴史の研究を進め、この美術館の企画展示を行っているという。

一方、生きているコレクションである盆栽の管理を支えるのが、盆栽技師のチームだ。なんとさいたま市では「盆栽技師」という専門職があり、大宮盆栽美術館では3名の盆栽技師が働いている。みな大宮盆栽村の盆栽園で修行してきた人材だという。この両チームで美術館の企画運営を担っているというわけだ。

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