ロジャーさんの父は1950年、上司に誘われるがままに18歳でオフィス秘書として日本に飛び込んだ、冒険心あふれるイギリス人だ。仕事のために4年間の約束で来日したものの、相撲をはじめとする日本文化に魅せられ、その後2011年に亡くなるまで63年にわたって日本に住み続けた。
日本人の母は、1960年代に国際結婚を決断するインターナショナルな感覚を持っていた。1971年、ふたりの間に生まれたロジャーさんは東京で幼少期を過ごし、8歳からはイギリスの寄宿制学校に通った。
「東京でよく覚えているのは、外出すると必ず誰かに『可愛い!』って指をさされたことです。髪の色も黒じゃないし、外国の顔をしている子どもはすごく珍しい時代だったんでしょうね。でも普通に『8時だョ!全員集合』が大好きな子どもでしたよ」
ロジャーさんは日本語を流暢に話すが、読み書きは英語を使う。日本とイギリスのどちらにも所属しきれない感覚もあったと振り返る。
両親の国際感覚に影響され、ウェールズ大学では国際政治学を専攻。入学の直後に湾岸戦争やクロアチア紛争が勃発し、リアルタイムで議論した。
多くの学友たちが外交の道に進むなか、ロジャーさんの関心は「そもそもなぜ人は争うのか」という人間の内面に向かい、大学院では「宗教学」を専攻する。
「宗教学を勉強して気がついたんだけど、ダライ・ラマもインドのサドゥーもローマ法王も、多くの尊敬できる宗教家は、みんな平和を訴えるんです。何千年、何万年も前から、あらゆる世界宗教の中で深い祈りや修行をした人たちが平和を訴える倫理観をつくってきたのは、偶然ではないなと思うんですよね」
しかし次第に、言語だけを使った学問的なアプローチに限界を感じるようになる。イギリスでアーティストとして活動していた弟の影響もあり、大学院では自由度の高いアートにシフトして人の心のありようを追求した。「アートでも宗教体験がもたらすような意識の変化が起こりうる」と考えたのだ。