未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
287

茨城県久慈郡

今から数十年前、大子町の美しい里山に惹かれて、山深い廃屋に住み着いた、一人の人形作家がいた。名前は山岡草。65歳で亡くなるまでの16年間、たった一人で人形を作り続けたという。非常に独特な人形は、当時の東京で高い評価を受けていたが、大子の人との交流はほぼなく、その人形の価値を知る人もいなかった、と言われている。残された資料や町の人々からのインタビューを重ね、謎多き人形作家の生きざまと作品、そして町の取り組みに迫る。

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子(表記があるもの以外すべて)
未知の細道 No.287 |25 August 2025
  • 名人
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茨城県久慈郡

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#1人形作家、山岡草とは誰だ?

人形作家・山岡草の人形。(撮影:山岡草)

「写真家の松本さんに、ぜひ山岡草の作品を見てもらいたいです」

そういって山岡草という人形作家の作品集を見せに東京まできてくれたのは、アートイベントなどで、数年前から交流があった大子町役場の田那辺孝さんと赤津康明副町長だ。それが私と人形作家、山岡草の作品との出会いだった。

大子で生まれ育った田那辺さんは、この人形作家について次のように話してくれた。46年ほど前、旅の途中で縁もゆかりもない大子町の風景が気に入り、山奥の一軒家に住み着き、一人で作品を作るようになったこと。作務衣と手ぬぐい巻姿という、当時でもかなり珍しい格好で、ひたすら和紙人形を作っているということ以外、町の人は彼のことをよく知らず、互いの交流はほとんどなかったこと。死後に山岡の遺族から、残った作品のほぼ全て、600体もの人形とそれを撮影した膨大なリバーサルフィルム、20冊の手記などが町に寄贈されたこと。それから6年後に、町には「和紙人形美術館山岡草常設館」ができ、残されたフィルムをもとに写真集「大地に遊ぶ子どもたち」も作ったこと。

大子町役場・観光商工課の田那辺孝さん。

これが大子町と山岡草、そして残された人形たちについての46年間の話だ。当時、30歳だった田那辺さんは町役場の生涯学習事業を担当する部署にいた。そこで美術館の立ち上げと写真集制作に携わり、その後、担当課を離れても、ずっと山岡草のことが気にかかっているのだという。

小さな町の美術館には、研究を続ける専門の学芸員がいるわけでもない。そもそも山岡草と人形たちについて、知らないことが多すぎる。それでも作品の素晴らしさを多くの人を知ってほしい、という気持ちから、ふたりは私に写真集を見せてくれたのだった。

大子町で制作した写真集『大地に遊ぶ子どもたち』

写真集をめくって、驚いた。独特の丸い愛らしい人形が、まるで本当の子どものように生き生きと、自然の中で遊んでいる。私がもっと驚いたのは写真の構成だ。人形の背景の自然も、何気なく置いてある花の位置も、ときどき映りこむ見事な文字やあらゆる小物も、すべてがまるで、アートディレクターが入ってプロの写真家が切り取った、広告写真のようなのだ。一体この写真はなんなんだ……!

よし、この謎の作家のことを調べよう。大子町には、たいへん珍しいことに町営のアーティスト・イン・レジデンス(アーティストが滞在して作品制作やリサーチをする場所)、その名も「大子アーティスト・イン・レジデンス」、通称DAIR(ダイヤ)がある。役場に申込めばアーティストが宿泊所とスタジオを無料で利用して滞在制作できるのだ。DAIRに滞在しながら、田那辺さんの案内で、山岡草をリサーチすることにした。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
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