
埼玉から長野県大町市に移住したのは、革細工作家をやめて間もない頃だった。
不動産業に就いた船生さんは、リフォームして販売するつもりで 別荘地の中古住宅を購入した。しかし、その家からの北アルプスの眺めがあまりに美しく心を奪われた。釣りやスキー、登山などの趣味を満喫するのにも理想の環境だった。「まるで天国のようだ」と感じた船生さんは、東京暮らしに疲れていたこともあり、その家を売らずに自分で住むことにした。
その頃、まさに人生を変える出会いがあった。長年の友人で、山ぶどう籠の輸入事業を手がけていた土居一忠さんとの再会だ。
土居さんは当時、中国で職人をスカウトし、山ぶどう籠の中国工房を立ち上げる業務を担当していた。しかし、4年間中国で奔走し、立ち上げの目途がたった矢先に結核を患い、日本へ帰国。入院していた土居さんを船生さんが見舞ったことで、運命が動いた。
「病院で点滴を腕に付けた土居が、ぐったりした様子で歩いてきたんです。『そんなに結核って、きついの?』と聞いたら、『いや、違うんです。実はさっき会社の社長がきて、たった今、クビになりました』って」
何年も会社のために奔走してきた土居さんへの酷い扱いに、船生さんは心が痛んだ。見舞いを終え、そろそろ帰ろうかとしたそのとき、土居さんに呼び止められた。
「船生さん、僕、ちょっと悔しいんですよ。僕と一緒に山ぶどう籠の事業をやりませんか?」
それまで山ぶどう籠についてほとんど知識がなかった船生さんだったが、その場で即答した。
「いいよ、やろう」
それが、山葡萄籠工房の始まりの瞬間だった。